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素通りしないでくれてありがとう

弱視(ロービジョン)があると、自分から知り合いに気づくことが難しい。

学生時代はそれが大きな悩みのひとつだった。相手を無視しているわけではないのに、自分からは声をかけることができないから、無視しているように思われがちだったからだ。

白杖を持っていれば弱視であることを理解してもらえたかもしれないが、あの頃のわたしは白杖を持つことなど考えられなかった。白杖を持っていないわたしは、ちょっとおっちょこちょいな女の子にしか見えなかっただろう。

足は遅いがよく走るし、下手ではあったがダンスを踊っていた。一見目が悪そうに見えない。恥ずかしがり屋か、愛想が悪いか、どちらかだと思っていた人も多かったかもしれない。

それでも、わたしと深く付き合ってくれる人たちは、わたしの視覚障がいのことを徐々に理解してくれるようになっていった。

「リコー!!」

わたしが気づかなくて声をかけなくても、

必ず声をかけてくれたあの子たち。

そんな子たちと今も繋がっている。

社会人になり、仕事をし、結婚をして子どもを産んだ。

何も言わないでわかってもらえるわけはない、そんな当たり前のことに気づき、大人になってからは初対面でまず障害のことを伝えるようになった。

それでも、出逢う全ての人に説明することなど不可能だ。子ども関係の知り合いは本当に多い。保育園・子育て支援センター・役所関係・小学校・ご近所さん。沢山の人に出逢ってきたので、全ての人に説明はできていない。どれだけの人があまり見えていないことを理解してくれているかはわからない。

だから、一対一で話す機会があったら、必ず言うことにしている。「見えにくくて気づけなくてごめんなさい、声かけていただけると嬉しいです」と。

「〇〇くんのママ!〇〇です」(学校のママ友)

「あっ!リコちゃん!〇〇だよ」(近所のママ友)

「〇〇くんのママー!!」(小学生女子)

道端で、スーパーで、ご近所で。

声をかけてくれる人が増えてきたことを感じる。

「もしかして…★★幼稚園で一緒だった〇〇くんのママですか?」

今日は3年も前の子どもの同級生ママに声をかけていただいた。

わたしは見えていない。きっと素知らぬ顔をすることもできるのに、無視しないで声をかけてくださって。

ありがとうを百万回言いたい気分!またお話したい!

見えていても、見えていなくても、気づいていても、気づかなくても、ちゃんと挨拶したい。

関わりのない人は、数年間同じ環境にいたとしても、目が見えている人以上にその人のことを顔も声も分からずじまいになる。

でも、声をかけてくれる回数が多い人は、不思議なことに見えていなくても、雰囲気で遠くからでもわかるようになることもある。

親しくなれる。仲良くなれる。

こちらから気づけなくてごめんなさい。

でも、声をかけていただけたら、きっとあなたのことを覚えるのも早くなります。雰囲気でわかって、こちらから声をかけられるようになる日がくることも、あるかもしれません。

素通りしないで、声をかけてくれる優しさに救われる。

弱視でも難聴でも、いや弱視難聴だからこそ、人とのコミュニケーションは捨てたくない。

いつも声をかけてくれる方々に感謝!


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