戦争は老人も戦地に行ってやれ! ❷
続き
以前、笑福亭鶴瓶さんが、言っていた言葉がありました。
人は亡くなった時、2回死ぬ時がある。と
1回目は肉体が死ぬ時。
2回目は残された人がその人を忘れ去った時。
今回、叔父の事を詳細にブログに書いているのは、私なりの弔いなのかもしれません。
靖国神社に時折、行き、手を合わせています。
靖国神社合祀はあと付けの様な気持ちもあります。
でも、太平洋戦争当時、あの時闘った戦友達が、
靖国神社で会おう!
と誓いあっていたならば、参拝して手を合わせる気持ちはあっていいと思います。
顔を見た事がない叔父は大正15年3月11日生まれのようです。
するとまだ、二十歳か二十歳にならないかで戦死。
これは、叔父に限らず、学徒動員で、戦地に駆り出された若者が多かったはずです。
よく、
こんな事の為に生まれてきたのではない!
と言う表現があります。
まさしく、太平洋戦争時代の若者、今のウクライナ侵攻による、ウクライナの若者、ロシアの若者。
忸怩たる思いがあるのでは。と考えると、
なんとも言えない思いになります。
ロシアでも、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)時代のかつての、良い時代だったと思い込んでいる老人が多いそうです。
その老人達は、再びの栄光に戻ると信じて、プーチンを指示する老人が多く、その老人はインターネット、SNSは使わず、国営放送しか観ない。
情報が偏っている為にさらに、プーチン支持。
昭和時代の老人達、大人たちも、欧米の白人から、帝国主義、植民地支配から、アジアの解放。
【八紘一宇】を真剣に考えていたのかもしれません。
でも、若者が死んでいく事実だけは、いつの時代も変わらない。
プーチンのネオナチ、東ウクライナの解放、ソ連の繁栄を再び!
の老人達も、
何をどうゴタクを並べても、それは解釈でしかなく、
事実は若者の死屍が道路に放置されているだけ。
レイテ島海戦で亡くなった私の叔父の死屍は日本には戻らず、遺族はA4の紙に、先程の記録の最後に。
靖国神社合祀
と記載されているだけ。
こんな事の為に、人は生まれてきたのでしょうか。
この紙を受け取った時の、私のあまり記憶が薄い、祖父、祖母はどんな思いだったのでしょうか。
私の父は、自分の兄に関する記憶を話してくれた事がありました。
出兵するその日に、大阪駅まで見送った日の記憶。高校を卒業して、郵便局員だった兄。
とても優しくて、とても頭が良い兄だったと。
91歳の私の父の記憶を私は受け止めました。
そんなに戦争したいなら、戦争に年齢制限は無いと考えます。
戦える者は全員で戦うのです。
これが前提です。
ただし、ロシアのやり方、プーチンのやり方は今回は少し違う考え方です。
ロシアは戦線布告していない。ウクライナもそれを受けていない。
ロシアは軍事訓練の延長を、戦争に変えた。
それでも、戦わないといけない事態があると、ある意味フェーズを変えたのが、今回のロシアです。
人間はやはり愚かな生き物なんでしょうか。
地球に本当は必要ない生物なのでしょうか。
そうでは無い事を示せるのも人間ではないのかと。
今思っています。
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