住宅営業の仕事は本当に不思議な仕事でした。20年間でお引き渡しした210件のお客様とのお話。 番外編 【アフターコロナで思うこれからの家づくり②】
何かの本を読んで印象に残っているのですが、江戸時代から明治、大正ぐらいまでは家は所有するというよりは借りる事が主流だったという事が記されてました
借地借家法がその名残りと私は思っています。圧倒的権力の地主に対して、借地人は弱い。それを借地借家法で借地人に相当の権利を与えてバランスを保とうと
した。家は持つものではなく、借りる感覚が多かったのではないでしょうか。間借りなんてのもそうですね。
1945年8月15日に日本が太平洋戦争に敗戦した時から、海外にいた軍人、民間人の引揚者が祖国を目指し帰ってきた。農地解放というのもGHQが始めたのは有名
です。名主、地主制度の崩壊と共に、小作人と言われる小さな地主が生まれていく。その小作人地主が土地をなんらかの理由で売り始める。そこに1960年代には
高度成長期に入る頃。都市1極型集中が熾烈を極めます。ちなみに日本は江戸時代から江戸1極集中でしたから。戦後の遺産ではないです。(江戸は世界最大の人口密
集地でした。)1960年代以降から【土地神話】という言葉が徐々に出て来たのではないでしょうか。
土地を持っていれば価値がその内上がる。。。。。と
それと同時に住宅不足も熾烈を極めるのです。日本政府が悪い訳ではなく、
こんな日本の歴史から家を建てる事に政府が関わる事を国民が望んでいた時期が
あっただけです。有名な田中角栄さんがおっぱじめた「列島改造論」の頃には
日本中で森林を切り倒して、ニュータウン計画があちこちで進んでいました。
私の記憶で1番知るニュータウンは何と言っても「大阪千里ニュータウン」です。
関東だと「多摩ニュータウン」ですよね。小さい頃父親の兄が当時千里ニュータウンに住んでいた頃があり、家族で遊びに行った事がありました。
度肝を抜かれました。笑 街全体が見たことない街路樹、モダンな階段、そして団地の一団です。まさしく!まさしく!夢のニュータウンでした。
住宅政策はまさしく国との一体事業だったのでしょう。田中角栄さんが土建屋のキングと言われる様に、この国は昭和に入ってからあちこちで道路をひっくり
返しては埋め立てたり、家を壊しては新しくしたりと、よく言われるスクラップ&ビルドを繰り返して国を豊かにしてきた側面があります。
もう20年以上も前になりますが、会社から連続で利益を出したと海外表彰を
受けた時がありました。表彰の一環で海外の住宅展示場を見学、そして海外の住
宅を見学してくる海外表彰を受けた事がありました。福沢諭吉先生が咸臨丸に
乗る!みたいなノリになってきましたが笑 オランダから入って、イギリス、
フランス、三ヶ国を回る強行軍的な旅行でしたが、表彰ですから支度金は出るわ。
何から何まで全て費用は会社持ちでした。全国から選ばれた人て10人程度ぐらいだったでしょうか。行ってきました。その中でイギリスでも、オランダでも
フランスでもそうでしたが、価値のある家は築100年以上なのです。むしろ新築の家は低く見られている雰囲気でした。今は違うのかもしれないですが、
築100年ぐらいならばまだ新しい方だと説明もしてくれました。私は聞きます。
「古い家にどうして価値が付くのか?」と
??????という顔をしていました。何をこの人は質問しているのか?みたいな感じです。おそらく中古住宅という概念はない感じでした。人が住み続けた家、
人が手塩にかけて手入れした家が価値がある事自体普通に扱っている感じでした。同行していた添乗の人に聞くと、
「木の文化と石の文化の違いがあるのかもしれないです。」と
日本は家を昔から木材で作る文化、ヨーロッパは家を石で作る文化が主流。
すると建て替えとなるとその手間暇はかなり違ってくるので、建て替える、新たに作るというのは稀なケースなのではないかと。納得する話でした。
ちなみにアメリカの中古住宅の流通市場規模は日本の40倍という記事も見ました。これだけでも格段に違いが分かります。
どっちが良いとは言えないですが、今の日本の空き家の現状を考えると、人口減少経済に入った日本ではヨーロッパの考えも少し取り入れていく事も必要だと
思いました。昔から
「家は一生に1回の買い物」ここに誤認識を与えてしまうのではないでしょうか。
「または家を持って一人前」ここにも社会の思い込み、
決めつけを作っていったのではないでしょうか。
?????住宅営業を30年もやってきてよくこんな事が言えるな〜と思われる方もいらっしゃると思います。笑
次回へつづく
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