小さい頃の思い出。いわゆる「近鉄線長瀬駅時代」皆さんにもありますか?似たような事。②
①のヒヨコ釣り、ウナギ釣りの話も今の時代で言えば動物愛護の観点からすると完全にアウトなのでしょうか。
ヒヨコが可哀想〜とかウナギが可哀想〜とか言いながら。そして鶏肉、うな重は美味しいと言いながら食べるのでしょうか。
それが令和の時代でしょうか。私の前回そして今回の話は昭和47年前後の話です。まだまだ昭和感たっぷりの大阪下町の話です。
それをイメージして。イメージ出来ないと思いますが。。。読んでください。今回は
「タンスを自転車に乗せたミルク煎餅売り」です。
確か「カタヌキ」というのを持ってくる、おじさんがいました。カタヌキ。。。
これも今から考えるとあれは何の成分で出来ていたのでしょうか。甘かったでした。
ヒコウキの型ちをしたカタヌキ、自動車の型ちをしたカタヌキ、ヒトの型をしたカタヌキ。様々ありました。
これは型を抜く難易度によってもらえる商品が違っていましした。確か1番難しいのは飛行機でした。翼のところがなかなか抜けないのです。
針を使ってなんとか型を抜こうとする者、唾をつけて少しずつ型を抜こうとするセコき者まさしく必至です。
あの当時うまく抜けたら何をもらえたのか忘れてしまいました。鮮明に覚えているのは、飛行機の翼の型と一緒に折ってしまうと終わりになります。
すると薄い煎餅の様な物に練乳ミルクをこれまた薄く塗ってオッチャンが
「残念やったなぁ〜また来てや〜」と言って自転車の荷台に乗せた箪笥から
煎餅と練乳ミルクをサササッと出してくれるのです。確かその箪笥三段式だった気がします。あの型抜きゲームもなんだっだのかも、さる事ながらあの三段式箪笥も
今となってはなんだったのか。笑 紙芝居というのがありましたが私はギリギリ見た事がありません。紙芝居を廃業したおじさんが次に始めたのがあのカタヌキだった
でしょうか。昭和時代はなんでも商売にして、使えるものはなんでも使っていたのでしょうか。
「タンスを自転車に乗せたミルク煎餅売り」の話でした。
まだまだあります。ポン菓子、爆弾菓子。これも覚えていますか?独特の機械をこれまた違うオッチャンが車?リヤカー?に乗せてきて、
それはそれは爆弾かという様な音を近所中に響かせて作るお菓子なんです。でもこれ子供大好きなんです。また見ているだけでも本当に面白い。
見たことありますか?本当にすごい音でした。あの音は今思えば宣伝音だったのかも。近所中から子供が集まっていました。
音だけでなくその時に出る煙?水蒸気?がこれまた迫力満点なのです。強烈に頭の中の印象として残っています。
母親にネダッテもなかなか買ってくれないので私はひたすら見ているだけでしたが。たまにお金を出してくれる時は最大の喜びでした。その時は家からお米と砂糖
を持ってオッチャンのところに行くのです。すると順番に
ぽーーーーン (白煙)とても景気が良い音でした。あれは昭和の音ですね。
ぽーーーーン 母親も思い出してしまいます。母も若かったでした。
ぽーーーーン 今日よりも明日。必ず良い日が来ると信じていました。
ぽーーーーン 貧乏でも貧乏と思ってもいなかったでした。
米1号ぐらいがその機械にかかると10倍ぐらいの大きさになって袋一杯にポン菓子が出来るのです。それを鷲掴みしては口一杯に頬張って食べていました。
食べても食べても減らないポン菓子はその時代の希望そのものでした。
次回へつづく
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