見出し画像

 人生には「うお~~~何もやりたくね~~~~~」のタイミングってあるじゃないですか。最近暴力的と言っていいほどの暑さが続きうんざりしております。外出するのにかなり気合が必要なんですよね。真っ昼間に外歩くのとかってもはや誇張ではなく決死の覚悟だなと思っています。人類、水を持ち歩こう。なんなら塩飴とか塩分タブレットとかも持ち歩こう。日傘も持ち歩こう。頑張って夏を乗り切りましょうね。

 正直暑いを言い訳にしたら世の中の暑さに負けず生きている方々に顔向けできないレベルなんですが、本当に何をするにもやる気がでなくて。今人生でかなり「寝る」をやる時間が長い怠惰な生活を送っています。で、そんなことをしているためブログに書けるようなこともなくない?となるわけなんですね。まあこの私、書くことないなをネタに書くこともしゅっちゅうなので非常に慣れております。書くことないネタに走ることに躊躇がない。迷いなく舵を切れます。ただ、書くことないをネタにし続けてきた結果そんなにパターンもなく、そろそろジリ貧感は否めない。手札がだいぶ薄ーくなって、札というかもう厚さはティッシュくらいかもしれない。かき集めかき集め行数を稼いでいきます。小学生の頃の夏休みの日記みたいなね、しかも毎日ちゃんと書いてなくて後でまとめて書く時の。あの頑張って思い出しながら記憶の欠片を伸ばし伸ばし文字数をかさましする、それでもって小学生ならではのたどたどしくて同じ内容を何回もぐるぐる書いちゃうみたいな。今日の更新はそんな感じなので、まあ正味言ってしまえば内容なんてあるかないかくらいの雰囲気ですがこれを読む人間がいらっしゃるなら語感を楽しんでください。ほら、近代の作家とかも書くことがないことをネタに随筆のような文章書いたりするじゃないですか、それが許されるなら私も許されたい。
 私の感覚ではあるんですが、書くことがないよ~で本当に何も書けない人って日本文学科には少ないような気がしていて。当たり前と言えば当たり前ですが「日本文学科」で勉強したいと思う人間ってある程度日本語だとか文章だとかに強くて、「書くこと」をどうしようもなく苦手としている人はそもそもこの分野を選ばないのかなと思います。私は逆に数字とか英語とか運動とかには弱い。で、書くことを不得意としていない人間は書くことがないのになにかを書かなければいけない時、なんとなくなんとかするんですよ。でも私が数字や英語や運動を不得手としているように書くことを不得手としている人間もいて。私先日、反省文の書き方を教えたんですよ。色々ふわっと濁しますが、中学生に「反省文を書かなきゃいけないけど書くことがもうないからどうすればいいか」と聞かれて。まあこの場合は得意/不得意以前に書き方が分からないというところもあったんでしょうけれども、大学入ってからは書ける人間が多かったので「書けない」に久しぶりに遭遇したような気がします。言葉や内容を引き出しつつ書き方の枠の部分だけを教え、私の言ったことをそのまま書かないように、押し付けないように注意を払うのはなかなか難しかったです。文章としては正しくはないが、本人から出た言葉や文章はそのまま尊重して残すべきかなあ、みたいな塩梅って、難しすぎる。しかも高校の時の同級生の文章添削してた頃とはまた勝手が違いますからね。書けるようにサポートするのってこんなに難しかったっけと思いながら見守っていました。感覚でなんとなくできることがあなたの得意なことだよと教えてもらったことがあり、私は割とそれが文章にあたるんですが人によってそれぞれ異なるなあ、面白いなあと思います。その中学生が得意な運動は私はてんでダメですし。世の中色んな人間がいますね。

 そんなこんなで今回もまた感覚で書いてきましたが、そろそろもうネタ切れになってきているのでちゃんとネタを仕入れられるような生活を送らなければ……と反省しております。真面目な話私はもう少し人間生活を頑張った方が良い。ちゃんと生きます。次回への決意が出たところでだいぶ苦しいので終わらせていただきますね。では。