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こんばんは。夜分に失礼。ごきげんよう、あやめです。残念ながら私はごきげんではありません。

秋雨だからです。雨が降ると頭痛がするタチなので、雨が降る季節はごきげんななめになります。また、今日のような休日は、せっかくのお休みなのに丸一日何もしないで無駄に過ごさないと、後の一週間不調を引きずります。ので、日中は大抵冬眠中のクマみたいに閉じこもっています。そのうえ今日は雨でした。雨だと体調がすこぶる悪い。朝起きられないのはもちろんのこと、気力がなくなって本当に何もできなくなります。夜になってようやく元気が出てきたのに、今度は眠気に押しつぶされそうになっております。マヌケなことです。そういうわけで、本日のお相手は湿度が高い私であります。

さて、ここから、前回書いた内容の解説をはじめます。随分お待たせしてしまいました。もうそういうのはお腹いっぱいですよの方は読み飛ばしてここでお別れしましょう。まだ読める!という体力自慢はもうしばしお付き合いくださいませ。

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タバコの匂いが染み込んだ車のシートに深く沈む体を、支えることすら能わずに、臭くて嫌なそれに安心している私の嗅覚がそこにあった。

→父親がタバコを吸います。それが嫌で、匂いが嫌で、煙いのが嫌で、父親が嫌で、いやなくせに、しかし、体調が悪い時にふいに流れてきたタバコの煙に、なんだかんだで安心しているような私がいることに、最近気が付きました。結局タバコの匂いも父親のことも好きなんだな、と思いました。体調が悪ければ悪いほど、様々に香る空気の中からタバコの匂いをわざわざ拾って、それで気持ち悪くなったり、ならなかったりしながら、それで安心している節があります。馬鹿なことだなと思います。

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暑くてかなわない、内側から湧いて出る水滴に、醜さを覚える。

→うだる暑さが、どうしても一匹の「生物」になりさがってしまう暑さが、大した功績もないのに人間の顔をしたつもりで生きている途中で「その」現実をつと突きつけてくるかたまりの様に感じる。自分はやっぱり醜い一匹なのだな、と思い知らされる。汗が、あとからあとから湧き出してくる。ぬぐっても、ぬぐっても、しまいには背中を伝って。この伝う汗の気持ち悪いこと。私の内面も、状態も、外見も、醜い一匹なんだと、思いました。とはいえ、まわりにいるみなさまだって、等しく汗びしょになっているのに気が付けば、あ、私だけではないや、と我に返る・自意識の過剰さに気が付くことができるのです。それを、苦しい満員電車の中で、白昼夢のように想い起こします。人がたくさんいるところでは、不思議と「ひとり」を強く感じるものです。

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優しくして差し上げよう、という隣人救済の気持ちは、実は区別意識から来ていて、抗えない劣等感は、これに起因していた。

→昔、小学生のころだったか、クラスで仲間外れにされている男の子がいた。私も仲間外れにされた経験があったから、その子のことを庇ったり、一緒に話したりしよう、と思った。その子は心に傷を負い、あまり登校しなくなってしまった。その時は本気でその子に寄り添っているつもりだったし、本気で「やさしく」「してあげて」いたつもりだった。が、これって、どれだけ彼のためになることだったのだろう。私の勝手な「加害者」「被害者」という区別のせいで、「加害者」の意見も聞かず、肩入れをしていた、その「エゴ」のキツさに、中学生で気が付き戦慄した。ああそうか。やさしさ、とはこんなに難しいことなのか。身勝手なものなのか。私はなにか、取り返しのつかない嫌なことをしたのではないか。と、おののいた。なんて自意識の強い、なんて身勝手な、なんて上から目線の行いだったことか。彼はそんな私のことを軽蔑したっておかしくなかったのに、中学生になっても、特に変わらず接してくれた。それもすごくかなしく思った。確か、そのころから私は、飄々としている、と言われるようになったんだったと思っている。

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優等生は、とうの昔に優等で無くなっても尚、そのレッテルに縛られる。

→遠い昔、それこそ小学生とか中学生のころ、私は優等生で通っていた。狭い地域だったから、同級生のお母さん方や、ご兄弟方にも、優等生だと評されてきた。中学生で初めての定期テストで、どのくらいが「ふつう」かわからなくて(裏を返せばどのくらいから「すごい」のかも分かっていなかった。完璧主義の酷かったあの頃の私はその点数を価値のない、ゴミのように扱って、満点をとれない自分を呪っていた)、同級生の「テスト何点だった?」という無色の質問に、純粋にシンプルにありのままに答えて(私には無価値な点数だったので、誰に言ったところで大したことはないと思った)、それが有り得ないくらい高いことが周囲の反応からようやくわかった。よくわからなかったので先生にも聞いた。先生は目が飛び出んばかりに驚いていた。しかもそのテストの点数が、3年生の先輩にも広がってしまっていた。どうやら驚愕した同級生が、3年生のご兄弟にも話したのだろう。そしてそれが広がったのだろう。人の口に戸は立てられぬ。

さて、高校に進学して、優等生から劣等生に真っ逆さまに転落した。残念ながら高校では全くの問題児となってしまった。不登校(私は「五月雨登校」だったと言い張っている)なので、勉強には当然ついていけなかったし、部活は通いもできなかった。みんなにお荷物に思われているような気がして、怖かった。マア、今思い返せば、中学の頃が異常だったのだ、と思うが、高校時代も異常だったので、「異常」に気が付かなかった。

劣等生がしょんぼりしながら街を行く。そこに中学時代の同級生が「最近どう?」と、これもまた無色の質問をする。これが怖い。高校では本当にたいへんな落ちこぼれをやっているのに、それが理解されない。確かに進学した高校は(質問したその同級生と比較したら多少は)偏差値が高いけれど、それだけだと思った。高校時代に逆転されることなんてザラだと思っていたし、私は落ちこぼれなので逆転されたと思っていた。が、どんなに言葉を割いても、そのことが理解されない。いやまああやめちゃんは賢いからさ、みたいな言葉で線を引かれて、それにくらべてあたしはさ、のような言葉が続いた。

その線から内側に入れてもらえたことは、ついぞ、無い。

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自己理解が進む程、新たな自分の可能性に心躍らせ、新たな情報を求めて外へ出て行く、と見せかけて、世界が狭く・独善的に、嬉しくない情報を棄てて殻にこもる内向になっていく。

→大学生になって、高校時代の不登校不健康ライフがあまりに苦しく、もうあんなのは嫌だ、と思い、原因を探るべくとりあえず自分を知らなければならない、と思って徹底的に自己分析をしました。おかげで自分の新たな面に気が付いたし、自分の行動の原因がなにだったのかわかりました。とても面白く、ためになる活動だったと判断しています。一方で、苦手、あるいは嫌な事象にぶち当たると、私は向いていないから、と投げやりになるようになった、と思います。自分を知って、もっと良くしていこうと思っていたのに、私を構成するピースが何なのかを集めるだけの機械になってしまったのかもしれません。あるいは、私が「私らしい」モノを拾い集めて、それこそを「私」としてくみあげているような不自然さ、ぎこちなさ。悲しくて嫌なことは排除して、私に都合のいい、わたしだけの楽園を築いて、そしてきっと、その楽園の運営をするのにも飽きて、またデカダンスを気取るのだろうか。それを憂いて、また内側に向くのでした。

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目指すはあの丘。たった1人で何が出来るか、いや出来やしない、それなのに、どんどん独善になる、そこに劣等を感じる、筈である。

→人は一人で生きていけない、という言葉があります。私が恐れる言葉の一つです。私はできたら一人でいきていきたい。でも、人より強いか、といえば、むしろ逆で、よわっちいのだと思います。だから、とてもひとりではいきていけません。恐らくこのギャップに「恐れて」いるのだと思います。なにもひとりで成し遂げられやしない薄ぺらな自分を認めると、完璧主義の私が【error】を表示します。自分を赦したことは、これまで一度だってなかったように思います。そもそも私は、「私」をただの「機関」だと思っているのかも。

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エンドループ。賢い私は同じ夢を見る、いつも同じところを廻る、どこから入っても、行き着く先は、出口は同じ。出られた試しは無い。

→上記のようなことを、しつこくしつこく思い返している私がいます。誰に責められたわけでもなく、ひとりで悲しく自分を責めます。どうアプローチしても、結局ここにたどりつきます。即ち「自意識過剰」。だから、なにか。全く生産性のない思考。前に進まない会議。むしろ勝手に傷つくのでマイナスでしょうか。今日はうまく自分を認められるだろうか、と全く違った切り込み方をしても、最後たどり着くのはいつもここ。そんな時は布団にくるまってカーテンを閉め切って、無理やり無駄な情報を脳みそに流し込んで、訳が分からなくなってきたところで電源を切ります。そうすると、一時的に問題を先延ばしにできるのです。

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七言絶句、というタイトルは、カッコつけてみただけで、ほんとうは全く七言絶句ではないことはお判りでしょう。ただ、7つの塊を、連想ゲームみたいにつなげたことと、全部ニヒルみたいに気取った言葉でできていること、それを聞いたあなたが、絶句しちゃうような自意識の強さがあるのは確かだから、「七」「言」「絶句」と言えばそうなのかもしれませんね。

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ため息が出るような一日でした。雨だからです。否、明日早期選考の二次面接があるからです。吸ってはため息、吸ってはため息。頭痛のタネが増えて、呼吸が浅くなります。昨日はとっても元気だったのに。人生万事塞翁が馬。運命論者になってしまいそう。と、くだらない・役に立たない・問題解決にならないことをネチネチ考えついては、ぽつり、ぽつり、とやることを思い出しています。そしてまた、ため息。ため息ばかりついていては、幸せが逃げてしまうという言葉を、タイミング悪く、今、思い出して、新鮮なため息がうまれました。元気な男の子です。はあ。