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'インナーラップ'という和製英語表現。

*イントロダクション「サッカーを語る言葉を整理したい。」はこちら

プレミアリーグの中継の解説をはじめ、いろいろな番組やコンテンツで活躍する大阪在住のイギリス人フットボール・コメンテーター、ベン・メイブリー氏が2023年3月28日にSNSで以下のようなポストをしてた。

言ってることは至って真っ当。ただ、この'インナーラップ'問題って、単に簡単な英語力の問題なだけじゃなく、実は「サッカーを語るときに使われてるモヤッとする言葉」の問題の典型例のひとつだし、この手の用語にまつわる問題の特徴をいろいろ含んでそうな気もしてる。もっと言えば、「サッカーを語るときに使われてるモヤッとする言葉」が気になるようになった大きな要因のひとつだったりもするし。

ベン・メイブリー氏が「定着しつつある」って指摘してる'インナーラップ'なる用語(ツイートからそのまま引用するなら「完全に間違った英語を基にしたと思われる和製英語」)は、ボールを保持してる味方選手を外側から追い越す'オーバーラップ (overlap)'と対になる表現として日本のサッカー中継や記事などで使われてる和製英語で、味方選手を内側から追い越すプレイのこと。英語の基礎として、'オーバー (over)'の反対は'アンダー (under)'だから、外側から追い越すプレイが'オーバーラップ'なら内側から追い越すプレイは当然'アンダーラップ (underlap)'になるはずで、ただそれだけの至って簡単な話なのに、なぜか日本では'インナーラップ'なる用語が頻繁に使われてる。無理矢理想像すると、'内側'ってイメージに引っ張られすぎて'インナー (inner)'って言葉を思いついちゃっ(て、深く考えずに使っちゃったら、思いがけず広まっちゃっ)たってことなのかな? って思ったりはするけど。でも、まあ、だとしても普通に間違った英語なんだけど。しかも、わりと低いレベルの。

そもそも、それまでにはなかった用語が新たに使われるようになるのは、通常は「既存の言葉では説明できないことを説明する必要がある」ケースとか「既存の言葉で説明すると長くなったりわかりにくかったりする」ケースとかだったりすることが多いのかな(必要がないのにわざわざ新しい用語を作ることで、何か特別だったり高尚だったりするイメージを植えつけようとするような胡散臭いケースもあったりするけど、それはまた別の話なのでここでは触れない)。つまり、今まで説明する必要がなかったり、必要はあったけど上手く説明できてなかった(から曖昧なままにされてた)ことが、新しい用語を使うことで簡単かつ明確に説明できるようになるってこと。オーバーラップはかなり前から使われてた(主にサイドバックのケースが多い)のにアンダーラップが使われてなかったのは、以前はサイドバックが内側を追い越すプレイがそれほどなかった(か、あっても特に言及されてなかった)からで、でも、最近は内側を追い越すプレイが増えてきたから必要になったわけで、たまに「内側をオーバーラップ」なんてますます頓珍漢なことを言ってるケースもなくはないけど、普通に「内側だからオーバーラップじゃないよな...」って思った誰かが、ちゃんと考えたのかはナゾだけど'インナーラップ'なんて言い出しちゃったってことなんだろうな...とは思う。おそらくは、特に悪気もなく。もちろん、悪気がなかったから問題がないわけじゃなければ、「完全に間違った英語を基にしたと思われる和製英語」を使い続ける合理的な理由にもならないし、ちょっと考えればわかるような間違いなのに是正されてないのは、厳しい言い方をすれば単なる無知か思考停止でしかない。

もうちょっと考えてみると、この手のナゾの和製英語が普及しちゃう原因として、「英語の正しい言い方がわからない」とか「正しい言い方で使われてる英単語があまり馴染みがなかったり難しかったりする」ってケースがあることは考えられる。ただ、「アンダーラップ」の場合はどちらも当てはまらないと思うけど。そもそも、「オーバー」の反対が「アンダー」なんてことは、英語としては日本の学校教育でも高校生レベルですらないくらいの難易度の知識だし、例えば、野球のオーバースローとアンダースローとか、ゴルフの3オーバーとか5アンダーとか、普通に使われてる用例がいくつもあるくらい馴染みがあるから、(少なくとも「オーバーラップ」って表現が認知されてる状況下では)全然難しい表現じゃないはず。

この手の表現の問題として、「いつ誰が言い出したかよくわからないのに、ナゼか広まってる」って点もある。原因の特定もできなければ、効果的な是正も難しくなりがち。知らない間に使われるようになってて、解説者とか選手・監督みたいな影響力の大きな人間が使うことで是正不可能なほど浸透しちゃうケースが多い。実際に、最近現役を引退した元プロ選手の解説者が「内側から追い越すことを'インナーラップ'って言うんですけど...」なんて言ってることを耳にしたことがあるけど、本人は悪気なく、むしろ丁寧に説明してるんだろうって思えるだけに、なおさらタチが悪い。その解説者に人気や知名度があって影響力が大きければ大きいほどタチが悪い。

サッカー中継の解説を通じて広まるケースの原因として、解説者のサッカー観や言語感覚がアップデートされてないことに起因するケースが多いのかな(それ以前に基礎教養の問題もあるのかもしれないけど)。もちろん、全員ってことではなく、そういう人が一定数いるって意味で。ただのサッカー好きでしかない素人がこんなことを指摘するのはもちろんおこがましいんだけど。でも、「未だに'キーパーチャージ'って普通に中継で使う解説者がいる」問題がある以上、申し訳ないけど仕方がない(ここでは詳しく言及はしないけど、'ロスタイム'なんかも未だに全然見聞きするし)。で、解説者はジャーナリスト等の場合もあるけど大半は元プロ選手なわけで、元代表選手だったり監督・コーチ経験者だったりする人も多い。つまり、専門家中の専門家ってこと。中継を観てるファンの多くは、まさか専門家中の専門家が間違った用語を使うとは思ってないから間違いが広まっちゃう。その解説者の影響力が大きいほど。その中継の視聴者が多ければ多いほど。

元プロ選手や元代表選手、監督・コーチ経験者の解説者が間違った表現を使ってるケースには「実況者が訂正しにくい」っていう問題もある。通常は実況者は局のアナウンサーだったり局ではない会社に所属するアナウンサーだったりフリーランスのアナウンサーだったりすると思うけど、頻繁にサッカーを担当してれば専門家って言っていいくらいの知識を持ってたりする人も多いし、「サッカーを話し言葉で伝える職業」って意味では専門家中の専門家であるとも言える。でも、元プロ選手や元代表選手、監督・コーチ経験者の解説者の間違いを正したり、解説者が'インナーラップ'って言っちゃってる横で何食わぬ顔で'アンダーラップ'って言ったりできるか? っていうと、関係性とか立場を考えると簡単じゃないことはわりと容易に想像できたりする。もちろん、中継に携わってるスタッフも同じ。代表経験もあるような解説者に「'インナーラップ'って間違った英語なんですよ」なんて指摘できるか? って話。要するに、元プロ選手や元代表選手、監督・コーチ経験者の解説者は'裸の王様'になりやすいってこと。それはそれで問題だと思うけど。

そもそも、選手・監督・コーチ等が実際の現場で使ってる用語って、実はあまりアップデートされてなかったり、明確な言語化よりもっと感覚的なコミュニケーションが主流で、それでもそれほど困ってないのかも? って推測もできなくもない。実際に選手のインタビューなんかを聞いてるとそう思うことも多い。それで困ってなくて上手く機能してるなら、それはそれで問題ないのかもしれない。理詰めにしすぎると頭デッカチになっちゃうなんて話もよく聞くし。少なくとも現場では。ただ、外に伝えるときにもそのままでいいのか? ってのは別の話だってだけで。

あと、別の問題として「別に通じてるんだからいいじゃん」的なことを主張する勢力が一定数存在したりもする。現場原理主義的な人の「実際の指導の現場ではそんな言葉、使ってない」的な意見だったり、「'インナーラップ'で日本では通じるんだからそれでいいじゃん」的な主張だったり。ただ、世界中で行われてるスポーツであるサッカーを語る言葉で、英語の用語が既にあるのに独自に作った英語由来の用語をわざわざ使い続けるメリットはあまり思い浮かばない(無理矢理考えるなら、「是正するのが面倒くさいから」くらい?)。逆にデメリットは? って考えると、日本人以外との英語でのコミュニケーションではわざわざ言い換える必要があること、そのためには'インナーラップ'って用語は日本でしか通じない表現だって前提も同時に理解してなきゃならないってことがすぐに思い浮かぶ。単に用語と意味だけ理解すればいい'アンダーラップ'と用語と意味に加えて日本でしか通じないって前提(と正しい英語では'アンダーラップ'っていう事実)も含めて覚えたほうがいい'インナーラップ'、例えば、将来は海外でプロになりたいってこどもが覚えるならどっちがいい? って考えれば、自ずと結論は出るはず。「英語でのコミュニケーションなんて自分には必要ない」って主張もあるかもしれないけど、それも間違った表現を使い続けること、言い換えれば、これからの世代も間違った表現を使い続けちゃう環境を維持する理由にはならないと思うし。'アンダーラップ'なんて全然難しい用語じゃないんだから、単に気付いたタイミングで変えればいいだけで。

ただ、ちょっと前から少しずつ、一部の実況者・解説者には変化の兆しも見えたりしてるかな。最初は主に海外サッカーの中継で、その後、徐々にリーグの中継でも増えてる印象。もちろん、どっちも担当してる実況者・解説者は多いので。ベン・メイブリー氏も「定着しつつある」って指摘してる通り、まだ完全には定着してない気がするし、是正の動きもあるから今はまだまだ混在してる状態だとは思うけど、それでも、ちょっとずつでも是正されてるのは率直にいい傾向だと思うし、'アンダーラップ'って用語が定着するだけじゃなく、この手の謎の表現が是正されるサンプルのひとつになればいいな...なんて思ったりもしてる。

*分類:「外来語」「英語」「和製英語」で、なおかつ「わりと実害がある」「間違った表現」で「言い換え可能」ってタイプかな。

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