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私のサッカーノート/#18 松本 茉奈加(関東第一代表 早稲田大学)

①サッカーとの出会い
私は小学4年生の頃にサッカーを始めた。始めたきっかけは兄ではなく、男友達の影響だった。始めたと言っても、週に1回の練習に公式試合は1年に1回というチームに所属していたから、練習というより遊びの中でサッカーをしていることの方が多かった。そのため、ルールの勉強や技術的な練習をした記憶はなく、オフサイドに引っ掛かり続ける選手であった。
中学では、基礎的な技術を学び、努力をするという意味も身をもって知り、さらにサッカーに魅了されていった。オフサイドやチーム戦術がわかっていないため試合では使えないと言われたこともあった。本当にその通りだったし、そこまでサッカーを知ろうとしていない自分もいた。ただ、純粋に「ゴールを決めたい」という思いでサッカーをしていたし、その瞬間が一番楽しいと思えていた。
高校では、全国から集まった年代別代表の経験がある選手や全国レベルのクラブチーム出身選手も加わり、3年間厳しい練習の中で切磋琢磨してきた。結果を求められる環境で、常に勝つために練習をしてきた。「私がもっているボールは仲間が必死に繋いできた、想いのこもったボールだ。」そう学んだのも高校の時だった。だからこそ私が、絶対にゴールを決めると今でも常に思っている。本気だったからこそ仲間とぶつかることもたくさんあった。その中で、チームでサッカーを作り上げることの重要性や仲間の大切さを知った。だからこそ、高校日本一になれたのだと思う。大学では、より高いレベルでサッカーをしたい、様々な知識を得たいと思い、早稲田大学に進学を決めた。

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②大学生活と大学サッカー
大学に進学して、1年の早慶戦(7月)までのサッカー生活は順調だった。しかし、早慶戦出場2分で鎖骨骨折。高校時代に怪我をした右膝の悪化。その後、半月板損傷で手術と次々に怪我を繰り返し、まともにサッカーが出来ない日々を過ごす。そんな2年間を経て、サッカーへの想いが募っていった。だけど私は、そんな想いや自分の気持ち、考えを言葉にすることが苦手だった。だから変わろうと思った。まずは相手を知ろう、そして自分も知ってもらおうと努力をした。うまく伝えられず失敗することもあったが、伝えられなかった想いを言語化していくことで、サッカー選手である前に1人の人間として自分自身の軸を見いだし、確立したいと強く思うようになった。
今年、大学生活最後のインカレを迎える。私はどんな立場であろうと屈しないし、絶対に諦めない。チームのために誰よりも熱く闘っていく。

③将来のビジョン
卒業後はプロサッカー選手になり、結果が求められる中でも高みを目指し成長し続けたい。今年、当たり前にサッカーをすることが難しい状況を経験し、改めて色々な方々に支えられてサッカーができているということを感じることができた。どんなに世の中に元気がなくなったとしても、スポーツにはその状況を変える力があると思う。だからこそ、私たちのサッカーを見せたいし、少しでも勇気や活力を与えたい。そして常に謙虚に、サッカーに真摯に向き合い、チャレンジを恐れない、そんなサッカー選手であり続けたい。サッカー選手として、1人の人間として、出会った人の記憶に残るよう日々成長し歩み続ける。


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