私のサッカーノート/#31 水谷有希(浦和レッズレディース/筑波大学卒業)


①サッカーとの出会いと大学サッカーの思い出

小学校1年生になる少し前から神奈川県鎌倉市に一番近い兄の少年団の活動についていき、横でボールを蹴っていたことがサッカーとの出会いでした。小学校に上がり満を持して兄と同じ少年団に入団し、サッカーを始めました。その後、少年団のコーチに紹介され中学高校はJFAアカデミーに進みました。しかし、在学中に東日本大震災が起こり、拠点を福島から静岡に移動することとなり、福島で2年間を過ごした後は静岡で4年間過ごしました。大学は、サッカーもでき、その後のキャリアにも繋がる筑波大学を選択しました。筑波大学では、サッカーだけではなく他にも様々な志を持った人が集まっていて、高校生までの当たり前が当たり前ではない環境に最初は戸惑いました。そのため、「しっかりとサッカーを説明する」ということを心掛け、サッカー経験の浅い部員に対して理論立てて説明し、納得してもらうということを大切にしていました。自分が試されていることであり、成長できることであると考え、言葉を使って納得してもらうことを意識していました。印象的なエピソードとしては、サッカーにおいて「準備からファーストタッチ」までの段階をとても大切にしているのですが、出来なかった人が出来るようになってくれた時は、嬉しい瞬間でした。その他にも大学と特別指定選手として所属していた浦和レッズレディースを行き来する中で、最初はレベルの差に切り替えが難しかったのですが、味方に合わせて自分のサッカーを変えるという対応力を身に着けることが出来ました。その積み重ねの末に、4年生の時の関東大学女子サッカーリーグ戦2部で優勝して昇格したことが一番の思い出として残っています。サッカーを一番で行ってきた自分だからこそ90分を通して勝つためにピッチの中で指揮を執る事が責任であると思っていたため、結果を残せたことは嬉しかったです。

② 現在のサッカー環境とこれからの目標

現在は高いレベルの中で、一つ一つ積み重ねることが出来、また試合に出ることでさらに得るものを着実に積み重ねてくることが出来たと思います。現在の生活としては、午前中は大学院に行き、夕方から練習する毎日を過ごしていましたが、コロナ禍で授業がオンラインになったため、時間に縛られることなく、余裕をもって練習に参加できるようになりました。緊急事態宣言中はチームの練習は無かったため、ランニングや縄跳び、リフティングなど限られた環境で出来る自主練を行っていました。練習再開後は、今まで当たり前だと思っていた広々とサッカーが出来るということ自体にありがたさを感じました。そして、大会なども行われ、WEリーグが開幕するという中で、私個人としては「誰かに憧れてもらえるような選手」を目指しており、水谷選手に憧れていると言ってもらえるような選手になりたいです。私自身がしっかりとチームに貢献し、初代女王となれるように準備をしていきたいと思っています。またセカンドキャリアとしては、A級の指導者資格を取得し、カテゴリーはまだ決まっていないですが、指導する道に進みたいと考えています。


③サッカーをしている女子大生に今伝えたいこと

私自身も、大学在学中に他の競技の友達と徹夜でテスト勉強をした思い出があります。そしてその仲間が今も活躍している姿に刺激を受けているので、サッカーだけではなく様々な友達や仲間を大切にしてほしいです。サッカーの舞台として大学を選択するということは、サッカーで出来る関わり以外にも、サッカー以外の友達や環境があるということであり、それが大学の特徴でもあると思います。そして、そこで関わった人たちは、サッカーを辞めた後にも、何かしらのヒントを与えてくれる存在になるかもしれないし、そういった面でも大学の特徴を活かしてサッカー以外の環境も大切にしてほしいです。

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