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奈良時間観光 徒然なるままに奈良公園とその周辺1

“角落ちて 首傾けて 奈良の鹿”   ― 夏目漱石 ―

【冬から春へ】

奈良の若草山焼き、お水取りが終わると…冬も終わり、子連れでも観光しやすい時期が到来する。

今年の桜は満開になるペースが少し遅いように感じる。冬も終わったのか…冬の終わりと入れ替わり来る春の到来は、桜で感じるよりも服装の変化でいつも感じ入る。押し入れにしまっていたTシャツが、いざ出陣を待っている。

しかし、私だけであろうか…年齢を重ねると冬が億劫になってくる。

若いころは雪山に毎週のように赴き、ひたすら滑走する事が、楽しみであったのだが…。

極暖ヒートテックなど着用するようでは、そもそも動く気がないのであろう。じっとしていても暖かい格好にセレクトの目が向いてしまう。

これが歳を取るということなのか・・・

若いころは寒い日に自分の上着を彼女に渡しても平気であった。
『これ着といていいよ』
『悪いしいいよ』
『ほんと、俺は全然寒くないから』
『ごめんね、ありがとう』
が…今では躊躇してしまうであろう。我が身を案ずる自分がいる。

これでは人としてだめだ…。

今年は寒さへの耐久性復活の令和元年にせねばならない。

【冬の肌】

寒さへの耐久性といえば幼稚園時代が一番あったのかもしれない。

真冬に上半身裸で乾布摩擦などをよくやれたものであるなと…今はしみじみ想う。

エビデンスで言えば乾布摩擦は肌に良くないだけで大した効果はないと言っている医師もいる。乾布ではなく、水で濡らせて絞ったタオルで肌をこする事で肌の表面細胞が一瞬収縮する、その動作が肌を強くするのであると。

きっかけは肌が強くなれば小児喘息もなくなると言われ取り組んだのであるが、本当に体質が変わったのは記憶に残っている。昔からやってるから…も、ナラティブとしてみれば一理あるが、やはりエビデンスを知ることは重要であろう。

娘の顔と手がこの冬パッシパシに傷んでいたのであるが、某医師がお風呂に入る前に『オリブ油』を塗布してから入浴し、風呂からあがればまたすぐ塗ればいい…と言っていたのを思い出して、試してみたら…確かによくなったのである。

『オリーブオイル』はクセが強いので、あくまでも薬局で販売している『オリブ油』である。これで娘の肌荒れがプニプニのお肌に戻れた。また寝顔をプニプニしてやろう。

【御加護】

今日の奈良県の最高気温は20℃らしい。

嫁は元来冷え性なので、いつでも厚着である。人として試される場面は、今日は無さそうである。

娘を肩車しながら奈良公園に赴く。

参道の石畳を肩車は危ないのであるが、まぁ今日はいいであろう。

以前…そう昔を想い出す…まだ娘が1歳にもならないころであったろうか近所の神社を抱っこして歩いた刹那、つまずいて娘ともども参道の砂利道に倒れ娘をギャン泣きさせたことがあるが、嫁には秘密である。細かい砂利が多量に敷かれた道で助かったのは神のご加護か。

さらにその帰り道に、ベビーカーに乗っている娘にペットボトルを何気に持たせていたのであるが、少ない歯でペットボトルのラベルをガシガシ噛んでチ噛みギッていたのであろうか、突然の『えずき』で気が付いて見てみると、娘がペットボトルのラベルを飲み込んでいるではないか…そして、呼吸が止まりそうである…。

その時はあわてて嘔吐させたので何とかなったが、脳裏に救急車をコールする事が頭をよぎったのは言うまでもない…。

乳幼児にはペットボトルすら危ない。

吐き出したラベルと残ったラベルを合わせてみたが若干足りない…多分オムツに物と一緒に排出されるのか…。これも神のご加護か…嫁には絶対に言えない秘密である。

娘を肩車するときは思い出す…転倒だけはしないようにせねば…。

【鹿せんべい】

神の使いの鹿が見えてくる。『鹿せんべい』をあげるのが大好きなのである。

昔探偵ナイトスクープで鹿せんべいを作っている業者の跡を継ぎたくない息子さんの話をやっていたが、今では無事に跡を継がれたのか…気になるところである。

早速鹿せんべいを購入し、ナウシカの気分になる。そう、神の使いを従えるのだ、神の使いを導くのは面白い。

鹿せんべいを鹿にあげるなら午前中がよい。土日などの午後からは観光客にもたらされる大量の鹿せんべいで満腹になった鹿はゆったりしてしまい、鹿せんべいに興味を示さなくなるからである。

と…優雅な気分も束の間…娘と鹿の狂騒曲により、即打ち消される。奈良名物、鹿のクレクレバトルのゴングが鳴ったのである。鹿せんべいを持つ娘にアタックする鹿とバンビちゃんにあげたい娘…。

しかしバンビは警戒心が強くなかなか寄ってこない、そうこうしているうちにデカイ鹿に娘の鹿せんべいが巻き上げられるのである。

鹿せんべいには鹿をより身近に感じられる鹿せんべいの受渡テク…儀式がある。

一つは鹿せんべいを手の平に乗せて、そのまま食べさすのである。手の平の上の鹿せんべいを鼻息荒く『はむはむ』と食べる姿は鹿のリアルを感じられる、多少唾液は付くが気にしない。

もう一つは、自分が鹿せんべいを先に軽く咥えてから、鹿に食べさせるという、昔のコンパでやったようなポッキーゲームの要領である。これは鹿の『鼻息』が数センチ先に感じられ、鹿好きにはたまらないのである。これもたまに『何か』が顔に付着するが気にしない。

こんな素晴らしい鹿せんべいのあげかたがあるのに、嫁から賛同や称賛が得られないのが心底残念であるが、世の中そんなもんなのであろう…。斬新は同時に否定も産むのだ

鹿で汚れた子供の手を洗うのにおすすめは、奈良春日野国際フォーラム甍のトイレであろうか。綺麗で広くて、子連れトイレには最適である。そういえば、奈良は公衆トイレが豊富であり、子連れにはありがたい環境でもある。

“旅とはどこかにたどり着くことが重要なのではない”

― T.S.Eliot ―

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