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憲法の番人とニーチェと#63

今回は、最高裁判所の傍聴にいってきたのでそのことについて書いていきます。社会には多様な価値観を持つ人がいて、ごちゃ混ぜによって成立しています。一つの出来事に対して、まったく同じ考えというのはなくて、そこには一人ひとりの解釈が存在するものです。少しかたい話もありますが、お付き合いください。

私は現在、障害福祉の分野で仕事をしています。主な対象者は精神障害のある方々で、生活場面のサポートや就労支援など行っています。仕事上で出会う方々は、年代も幅広く10代~80代。出身地や社会経験も本当に多様です。

精神障害というだけで避けられてしまうという現状はまだまだリアルにあり、特に1900年に制定された精神病者監護法以降は法的にも、社会的にも排除されてきた歴史があります。歴史については以前の記事をお読みください。

簡潔にお伝えすると、1900年ころは自宅内に檻小屋を作ってその中に精神疾患のある家族を閉じ込めるということを合法的にやっていました(私宅監置)。そして、1950年には私宅監置は廃止されたものの、閉じ込める先が精神病院に移ることになりました。時代とともに精神保健に関する法律は改正されてきましたが、現在の精神保健福祉法も基本的には精神科病院への入院の手続きについて定めたものとなっており、基本的な排除の概念は残っています。


〇優生保護法について

こうした経過の中、戦後の1948年には優生保護法(のちに母体保護法となり、現在は廃止)が制定され、その第一条(目的)にはとんでもないことが書かれてしまいました。

第一条 この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。

衆議院HPより

上記の目的に基づき、対象の遺伝性疾患がある人には優生手術をし、合法的にかつ国策として一人の人間の生殖機能を断ってしまうのです。対象疾患も上記衆議院HPのリンクから見れます。精神分裂症(現・統合失調症)や躁うつ病、盲聾など多岐にわたります。

そして、生殖機能を断たれるという実害だけではなく、この法律によって対象疾患とされる疾患を持つ人を不良であると決めてしまったのです。

2018年、優生保護法の下で同意なしに優生手術をされた方が裁判を起こしました。そのことで、今まで誰にも言うことができなかった多くの方が後に続き、全国各地で国を相手取り提訴。約6年に渡る裁判が続き、舞台は最高裁判所となりました。


〇憲法の番人・最高裁判所

はい。ここでようやくニーチェの名言を引用します。

「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」

ニーチェ

人生で初めてでしたが、最高裁判所の傍聴に行ってきました。

最高裁判所の外観

裁判所内は撮影禁止で、法廷には通信機器などは持ち込むことができませんので、写真は外観のみです。最高裁判所のHPで所内ツアーができます。

今回の争点は、民法724条の除斥期間が適用されるかどうかについて。

(不法行為による損害賠償請求権の消滅時効)

第七百二十四条 不法行為による損害賠償の請求権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。
 被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないとき。
 不法行為の時から二十年間行使しないとき。

民法

優生保護法が存在していたのは1948年~1996年までです。今回の提訴が2018年なので、上記の民法が定めている除斥期間の20年は経過しています。

ただ、今回の裁判では被害にあった方々がそもそも被害にあったことを知らないという状況です。本人の努力で知るということは、様々な障害を抱えていることだけではなく、優生手術を受けたときにそもそも知らされておらず、その後も家族などから明かされてこなかったことから難しかった。だから除斥期間をそのまま適用するのはおかしいですよねと、原告らは訴えてきました。

これまでの地方裁判所や高等裁判所の判決においても、正義と公正の観点から一律に除斥期間を適用することはできないと言われてきました。

とはいえ、国側としては負けては困るわけですからそれ相応の反論をしてきます。

  • 民法の規定を個別の事情に配慮して適用しなければ、法の安定性に支障が出る

  • 国側は立法府の役割を果たしている。(一時金支給法という救済法の制定と運用をした)

  • 司法は司法として、立法府の守備範囲に入ってきては三権分立が歪む

と、なんとしても解釈によって除斥期間が適用されなくなる状況は避けたいわけです。

つまるところ、手術をしたことが違憲だったかも重要なのですが、民法の解釈を最高裁判所はどのようにしますか?と問うているのですね。

最高裁判所における、国家賠償請求訴訟の判断は、事実に対して白か黒かを言うのではありません。これまでの積み上げてきた判例、日本国憲法、裁判官らの価値観などを寄せ集めて、今回の件をどのように解釈して判決を下すのか。これが最高裁判所の役割なのだと分かりました。

そうしたときに、ニーチェの言葉が頭に浮かんだんですね。あわせて、最高裁判所の裁判官はとても重大で、責任の重い仕事だと感じました。


分かりにくい表現もあったと思いますが、最後までお読みいただきありがとうございました。
この裁判がどのように転ぶかは分かりません。まだ各地で地裁、高裁も続いています。それに、裁判で勝訴判決が出ることは一つのポイントでしかなくて、今戦っている原告や同じように被害にあわれた方の人としての尊厳の回復につながるには、まずは国がしっかりと謝罪をすることが必要です。これまでのことが誤りだったのなら、一度しっかりと謝罪して向き合わなければなりません。過去と向き合うことなくして、現在、未来へと向かっていくことはできません。私個人としても動向を追っていきたいと思います。

それではまた。ゆうちゃんでした。

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