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【世界の終わりに】 愛するものの心と愛するものへの思いと永遠に共にありたい

ちょうど六十年を生きさせていただき、今まさに、かつて『誰も経験したことのない世界状況』の只中にある自分を思います。
折しも、二度目のオリンピック東京大会が開催されている最中です(一度目のとき、私はまさに三歳になろうとしていました)。
時空の流れに思いを馳せつつ、この”千載一遇の日々”を過ごしております。

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『奴等』が、これほどまで執拗に、徹底して、人類を滅ぼそうとしているのかと、もう一切の容赦は無いのかと、もはや観念いたし申し候う。

まるで、ヨハネ黙示録に書かれている有り様、そのままのような世の終末に立ち合えるというのも、神仏のお導きなのでしょう。本当に、ありがたいことです。今『この世の終わり』に居られることは、すなわち無条件に覚醒の機会を与えていただいたも同然だからです。私たち人間すべてに、より高次元の意識振動に共振することのできる、稀有なる一大チャンスを巡り合わせてくださったからです。

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『奴等』が、これほどまでして、輪廻転生の原理に閉じ込められた仮想世界で生きることのみに固執し、この仮想世界を我がものとして支配したいと言うのなら、どうぞ、やりたいようにおやりになったらよろしゅうございます。哀れなるかな、物欲のかたまり。そんなに金=moneyが欲しければ、未来永劫、金=moneyに埋もれて凡々たる人間を続けなされ。終わることなき人生を、永遠の肉欲を、止まることなき煩悩を、せいぜい謳歌し尽くしなされ。それが良いと言うのなら、それが一番に良かろう、好きになさればよろしい。ただ、それだけのこと。

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私は、おのれの直感の趣くところに従い、神仏のお導きに身を委ね、ひたすら、今一瞬一瞬に『在りて有る』。ただ、それだけのこと。

生老病死、生きることも死ぬることも、幸運も不運も、恵まれるも施すも、与えられるも失うも、私の本源=魂(Geist)の存在点に立てば、さほど拒んで忌避したり、さほど固執したり、さほど”しがみ付いたり”するような事ごとでもありません。

“Naked I came from my mother’s womb,
And naked shall I return there.
The LORD gave, and the LORD has taken away;
Blessed be the name of the LORD.”
(Job 1:21)

「わたしは裸で母の胎を出た。
 裸でそこに帰ろう。
 主は与え、主は奪う。
 主の御名はほめたたえられよ」
(ヨブ記 1:21)

いずれ、私は死ぬのです。肉体も、財産も、ステータスも誇りも、何もかもを地上に置いて。裸のままで。魂(Geist)だけになって。

ひとつだけ、愛するものの心と、愛するものへの思いと、永遠に共にありたい。それは叶うのです。

神、共に居りませば。

“Behold, a virgin shall conceive and bear a Son,
and shall call His name Immanuel”
— that is, “God with us”.
(Isaiah 7:14)

「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、
 その名をインマヌエルと呼ぶ」
 — すなわち『神、共に居ります』
(イザヤ書 7:14)

『ヘブライ語』の עִמָּנוּאֵל‎ “Immanuel Emmanuel Imanu'el” =インマヌエルは、“God with us”『神、共に居ります』という意味の言葉です。

これは、2つの言葉、インマヌ( עמנו /Immanu/我らと共にいる)エル( אל /El/神)を組み合わせたものだそうですが、興味深いことに、この言葉を『やまとことば』で読み解くこともできるのです。

Imu =ゐむ
斎む・(結む・埋む・居む・傅む)】
 添う・在る/現す・釣り合う・対する
 据える・世話する・かしずく・直す・清める

Manu =まぬ
【(和ぬ・交ぬ・混ぬ・紛ぬ・招ぬ)・真似】
 収(治)まる・収(治)める・映る/写す
 似る/似す・在る/現す

El =ゑる
【(熟る・上る・笑る)・選る】
 高める・尊ぶ・栄す・熟成する・優ぐる
 中心に置く・至らす・選ぶ

ImmanuelImu(ゐむ)+Manu (まぬ)+El (ゑる)

=【居む・斎む(在る/現す+かしずく+清める)】
+【和ぬ・交ぬ(和す・交わる・在る/現す)】
+【熟る・上る(尊ぶ・中心に置く)】

=かしずいて清め、和して交わり、尊んで中心に置く

=『神、共に居ります』


【参考・引用】
 やまとことばのみちのく/語源探求のこころみ
 https://gejirin.com/mitinoku.html