<なかゐまのをしゑ> 一日の苦労は一日にて足れり
マタイによる福音書
第6章25節〜34節
25「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 26空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。 27あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 28なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 29しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 30今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。 31だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 32それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。 33何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 34だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」
©️Executive Committee of the Common Bible Translation 共同訳聖書実行委員会 1987,1988
©️Japan Bible Society 日本聖書協会 1987, 1988
『一日の苦労は一日にて足れり』という、イエスさまの有名な教えです。
要するに『今をしっかり生きましょう』ということですね。
過ぎたことを悔やんでも、今となってはどうにもならないのですから、もはや建設的ではありません。反省材料や教訓として蓄えるのなら、意味はあるかも知れませんが。
先のことを心配しても、いずれにせよ、その時々で判断するしかないのですし、その時々で、きっと新しい状況(選択肢)が生まれていますから、必ず何とかできるはずです。
大切なのは『今』なのです。
過去や未来に捉われていると、今を生きているという存在の本質が、虚ろになってしまいます。
本当に生きている瞬間は『今』なのです。それを忘れていては、もったいないですよね?
<かむながらのみち>にては、これを、<なかゐま(中今)のをしゑ(教え)>と申されるそうです。
まさしく、たった今、今この一瞬一瞬を噛み締め、味わい尽くすように生を歩み進める、と、ただそれだけの simple な教え。
余計な執着が、自ずと消え、心は軽くなり、悩みが失せ、代わりに多くの閃き(天の御声)が、必ずや授けられることでしょう。
まゑやさき
おもひなやまず
くやまずに
なかゐまのみち
あめのみこゑぞ