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ラーメン屋さんで並ぶということは、何を意味するのか?

こんにちは。
ライフコーチのまえかわです。

生まれ育った地域の特徴だと勝手に思っているのですが、
私はご飯を食べるためにお店に並ぶのが苦手です。
まあ、割と並ぶの全般苦手です。

横入りをするとか、電車で並ばないとかではありません。念のため。

そして、また同様に出身地の地域性から、ラーメンを普通に食べます。
もはや好きとか嫌いとかの次元になく、普通に食べるものです。
ラーメンは、もちろんとんこつです。

地元は程よく田舎なので、
私がよく行ってたラーメン屋さんは、基本的には駐車場完備です。

それが直接の理由ではないかもですが、
地元のラーメン屋さんで、座れもせずに立って並び行列ができることは、
非常に稀なことだと思っています。
ちゃんと美味しいと思うお店ですよ。念のため。

お店がちょっと混んでたら、先に注文だけして、
後はお店にある漫画を読む、みたいな過ごし方をしていました。
まあ、ラーメンなので、実際はそんな長時間待つこともないのですが。

このように、行列ができているお店に行って並んでまでご飯を食べるという経験が、あまりありません。
お昼時で行列ができてお客さんが並んでいたら、
コンビニにするとか違うところに行くとか、
とにかく行列で待つのが得意でないので、別の選択肢を探します。
並んでまでその特定のお店で食事をする必要性を感じることは、ほぼありません。

特別せっかちということではなく、
他の場面では普通に待てることもあるので、
飲食店の行列にのみ適用される、かなり個人的な意見です。

そして、これは偏見なのですが、
「東京の人は、待つのが好き」だと思ってました。
単純に美味しいお店が多いとか、マーケティング的に席数を制限しているとかの理由もあるとは思いますが、私にとっては信じられないくらい東京の人は行列を作るし、好んで並んで待っていらっしゃると思ってました。
普通に並ばれるんですよね、ホント。

完全に個人の好みなので是非はないのですが、
私は、行列に対してあまりいい印象を持っていませんでした。

「え、並ぶの?並んでまで食べる価値があるの?並んで無駄な時間を過ごすくらいなら、別のところでゆっくりした方がよくない?」みたいな感じです。


そんな私も、しばらく前に東京の女の子と一緒に東京のラーメン屋さんに行きました。

その子が事前に美味しいところをいくつかピックアップしていたので、便乗飯でした。
そういう時は私の社会性が出張ってくるので、
お付き合いでは多少待つことができます。


その待ち時間に、「行列に対していい印象がない」、とつい正直にこぼしてしまったところ、

「そうなんですねー、
でも行列って、そのお店の美味しさを知るバロメーター的なとこあると思いますよー」



、、、おう
そういう見方もできるのか。

これまでなんとなく、行列をモヤモヤした感じに眺めてたのですが、
それを聞いてからは、
「この人たちにとっては、幸せなご飯を待つ幸せな時間かもしれないな」とも思えるようになり、ちょっとだけ優しく見れるようになったと思います。

「行列のできるお店=美味しいお店」の真偽を判断するのは難しいと思いますが、
そういう意味づけをしといた方が、私が世間に対して優しくなれるのか、と気づかされた経験でございました。


よくコップに入れたお水の例で、
「まだ半分ある」「もう半分しかない」とありますよね。

モノゴト自体は、ただただ中立で、善も悪もないので、
事実が変わらなくても
「モノゴトをどのように捉えた方が、自分にとっていい影響をもたらすか」を
知っておくことは、とても価値があることだと思います。

相手の状況や心の動きを無視して、何でもいい方に捉えるのとも違くて。

自分に優しくできる方法の一つだなぁと思います。



自分に優しくするために、より中立的なorよりよいモノの見方ができるとしたら、どんなものがありそうでしょうか?



ちなみにこの話を別の東京育ちの方に話したら、
「イヤ、東京自体、田舎者の集まりだからね。」
と返されましたけどねw w

あなたにとって、あなたのために、
どうぞよいお時間をお過ごしください。

またお会いできることを楽しみにしております。

ではでは🙌🙌 🙌


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