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本当に大切なものは、目には見えないということ

家族や友人への愛情、
自分や人を認めていくこと、
誰かのために役に立ちたいと思うこと、
生きていく上で幸福を感じるために
大切にしていることは、
大抵目には見えません。

目に見えないけれど、大切にしたいと心の奥で強く願いながら一緒懸命生きています。

だけれど、大切にしている事は目に見えないからこそ、本当は1番大切な事なのに、見ていないうちに胸の奥深くにしまわれて、わからなくなってしまうことがあるように思うのです。

大切な人のために、仕事をしてお金を得てその人のために使いたい。
認められたいと思って、研究を頑張って優秀な成果を残したい。
人の役に立つために、商品の開発をして誰かが助かるものを作りたい。
幸せのためにと、毎日頑張っているとそれは具体的な形になり、目に見えやすいものに変化していきます。

そのうち、だんだんと見える形になったものが日常になってきて、毎日、繰り返されてくると、
「幸せのためにやっていた胸の奥の大切なもの」という目的を忘れてしまって、目の前の「仕事」や「研究」や「商品の開発」が本当の目的だったように錯覚してしまう時があります。

こんなに頑張って形にしたのに。

目に見えていないと忘れてしまう事があるように思うのです。

大切な人と幸せに過ごすことが目的だったはずの仕事なのに、仕事の時間を優先している。
そして「今、あなたのためにもやっている仕事が忙しいから、少し我慢してほしい」と思ったり。

無我夢中で繰り返している日常の中で、一緒懸命頑張っているからこその、そんな本末転倒な事が起きてしまうことが、私にはあります。


星の王子さまの世界が小さい頃から大好きです。
星の王子さまの中で有名な言葉に

「ものごとはハートで見なくちゃいけない、ってことなんだ。
大切なことは、目に見えないからね」
「君がバラのために使った時間が長ければ長いほど、バラは僕にとって大切な存在になるんだ」

という言葉があります。

小さな頃にこの言葉と出会ってからずっと大好きだったのですが、年月が経って、よりしみじみと胸に響くようになりました。


逆を返せば、大切なものがたとえ目には見えないとしても、みんながしている目に見えることの中には、実は奥には大切な目的があって、その気持ちを表してくれているということ。

私の両親は、愛情をもっていろいろと考えて私を育ててくれましたが、それをはっきりと言葉にするタイプではなく、愛情を表すために抱きしめたりなど、スキンシップをするタイプでもありませんでした。

そのため愛情がわかりにくく思えてしまい、いつも親のルールに従わされているように感じられ
「本当に私は愛されているのだろうか」と考えたこともありました。

しかし、

家族のために生活を支えるために、
毎日仕事をしてくれていたお父さんも、
家族が食事をし、快適に過ごすために、
家事をしてくれているお母さんも、
楽しもうと家庭の雰囲気をみて気を遣い、
みんなを笑わせようとしている子どもも・・・。

日常の中で、相手のために積み重ねている目に見えている行動の中には、その奥にある気持ちの中に明らかに愛があふれている。


なぜか自分の心が余裕をなくしていると、目に見えることしか気づかなくなってきて、裏にある愛情やそのありがたさが分からなくなってくる・・・。そんなことがあります。

でも、そんな山あり谷ありも、
気付かなくなっている自分も全部含めて、
長い時間をかけて愛情を注いできたこと、
そしてそれを受け止めてくれる人たちが居てくれることは、とても愛おしいことです。


見えている事の裏側にある想いに気付いてそれをちゃんと受け止め、「ありがとう」と言葉で返したり、少しでもアウトプットし始めると、不思議なもので奥にある大切な幸せは量が増えていくように感じるのです。 


(2020.11.03編集・追記)

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