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自分のために、これからの自分の人生の時間を使おう。

コロナからのギックリ腰で、
なんだか寝たきりのような
生活になってしまいました。

でも、もう自分のために
自分の時間を使おうと心に決めたら。

心は結構元気になってきたし、
ワクワクしてます。

まず考えてるのが、屋久島に行きたい。
旅に出たいのです。
木に触れるのが好きなので、
縄文杉をみてみたい!

行きたいとことか、会いたい人。
参加してみたいイベントとか。

自分の思うままに、
あまりわがままとか
迷惑とか考えすぎすに
とにかくやってみようと今は思います。

と言いながら。

今の現実は、腰痛で
歩くのに支えが必要なくらい。

息子の剣道の木刀を松葉杖代わりにさせてもらってるんですけどね。

トイレに木刀持っていくって
どれだけ武装してるんだろって思ったら
屋久島とのギャップにちょっと笑える。

まあ日々小ネタですな。

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今までの人生は、人のためにって
頑張って生きてきたし、合わせてきたのだと
思います。

人のためにって枕詞をつけないと、
自分のことをしてなかったかもしれない
とも思います。

でもその制限から変えてみる。

子どものためとか、人のためには
「うちはこうだから、やめときます」って
言えるのに。
自分のためには言えなかった。

自分が過剰に責任を負うことで
場が上手く回るなら、それでもいいやって
ことも、昔からしてた気がします。

でもそれは、本当の意味での相手に対して
親切じゃないし、何かを一緒に
やるなら、本音で言い合えないなんて
残念ですよね。

自分が嫌わられることへの
過剰に恐がる気持ちで、
もったいないことをしてしまってた
だけなのです。

私、もうそういう生き方じゃ嫌だって。

やっとそんな自分が出てきてくれた
気がするのです。

人と人の仲介はたぶん今までもしてきて。

でも、自分のために自分の希望を伝えたり、
何かを断ったり、意見を伝えるのが、
苦手だから合わせて生きてきたとこあるから。

自分のニーズを伝えるのが。その加減がまだ慣れてなくて
超絶、下手くそなんだと思います。

息子のためには言えるようになったのが
子どもの不登校での私の学びでした。

すごい練習させてもらったなあと思います。

自分のニーズにとことん向き合う。
これからの人生の中で、少しそんな贅沢な時間を
自分にプレゼントしようと思うのです。

それで満たされてからでも。人のために何かって考えるのは
遅くないかな。

子育てして。仕事も8年続けてきて。
いろんな場面で、一生懸命、
私なりにやってきたから。

自分にご褒美しようと思います。

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人はいつも明るくいれるわけじゃなくて、
喜び以外に、悲しみも怒りも
恐れもあったりするけど。

本当に奥にある滞った想いに気付いたとしたら。

情動のような感情以上の奥深い層にあるものは。

なかなか思考でコントロールしようと
思っても、難しいこともあるみたい。

もっと感覚的なもの。
身体の声や自分の想いを心の声を聞いてあげたい。

一旦は思いっきりダイブして自分を受け止めきること。
それは私にとっては、温めるというよりは。

そう思ってしまう理由となった
奥の深い感情を味わい大事にしつくすという
感覚なのかもしれません。

そうでないと、反対に時間が
そのまま止まってしまうようで。

その感情の方に注目して。
悲しみも喜びもただ想いとして一緒に語らえたなら。

本当はきっと心で分かり合える。
それが私にとっての癒しだと思うし、そうしていたいと思います。

共感しながら、そうして分かち合いながら
生きていける社会の方がいいじゃない。

私は自分らしさのニーズを少しずつ練習しながら
伝えていくことがしたいし。

それでなんだか上手く伝えられなかったとしても。

またもう少し上手くできるようにチャレンジしてでも、
もう自分らしく生きたいし、成長したいな。

みんな日常の中で笑顔で過ごしながら、
心の奥に語りたい気持ちを抱えてる。

noteでだいぶ、ネガティブ寄りな私を出させてもらってるけど。

日常の笑顔での対話の中だって。
ふと、心の奥の思いが出ようとした時に

「嬉しいの共感したい」
「一緒にワクワクしたい」
だけじゃなくて。

「泣いてもいいよ」
「怒ってもいいよ」
「恐れてもいいよ」

って言えるのがいいなと思います。ネガティブな感情こそ、
分かち合いたいのです。

人は人の関係の中で傷つくけど、
人の関係の中で癒されるように思います。

いつもハッピーなら素敵だけど。
そうじゃない感情が出てきた時には
それを自己調整できるなら、それがいい。

ただ、分かりながらもできないという自分にとっての深い感情。

そこに触れた時には、
どうにかしようとするのではなくて。
流れに身を任せて、味わいつくしながら。

身体の感覚から脳に教えてあげたり、それをもし言語化できるように
少しでも話を聞くことができたら。

その時に深い部分にあったものが表に出て
まだ扱いやすくなるのだと。

それがとても大切なことだと思います。

未熟なとこがたくさんあるけどね。
人間ならみんなそんなところが
それぞれに違う場所にある。

だから自分を卑下するのもやめて、
そこにこそ、優しさを届けたい。
それは人にも自分にもそうしたいな。

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