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スマホのない時代は、駅の伝言板で連絡をとったり、数字の暗号でメッセージを送っていたのだよ。

このコロナ禍で、ちょっと言いにくさを感じますが。
家族で揃える連休なので、少し出かけてました。

コロナ禍だから出かけにくい

そんな気持ちをあえて、細やかに言葉にしてみると。

感染対策がとれている、例えば自然の中で
人との距離がとれて、密にならない自然豊かな場所なら大丈夫と思う気持ち

出かけないで、子どもも一緒に家でずっと過ごすというのが
身体も心も不健康じゃないかと思う気持ち

感染へのリスクに対して、周囲の人や社会的にどう思われるかという
人目を気にする気持ち

なんだか、いろいろな気持ちが合わせあつまって
「自然豊かな場所で、車で移動できる範囲の近場」ならいいんじゃない
という選択に落ち着くという。

自分の中でそこが
楽しく、無理せず、罪悪感なく、な加減だったのでしょうね。


そしてみんな考えることは同じようで。
そういう場所に来る人が実は多いかも・・・という現実。


外出したことすら、なんだか大っぴらに言えないなんて。

もう長丁場となり、コロナ禍の生活があたりまえとなり、
でも、以前の生活を知る身で考えると、やっぱり当たり前じゃなくなったことは数多くありますね。

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平成生まれの人は知らないだろうけれど。
今では考えられないことが、たくさんありました。

例えば。

昔は、電車の中でタバコが吸えたし。
携帯電話がないから、待ち合わせで会えないなんてしょっちゅうだし。

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こんな駅の伝言板に
「先に行ってる」とか要件残して、待ち合わせしたり。

人の伝言内容をみて、ちょっとほっこりしたり。

ポケベルで連絡を取っていた頃は、
0840(おはよう)なんて、数字の羅列でかなりのコミュニケーションを取っていたりね。

0840 922 121064(おはよう さきに いってるよ)
という文章を普通に「相手が読める」と信じて送っていたし。

その番号を電話ボックスから送信したりして。


待ち合わせで会えなくてすれ違う二人、なんて描写のドラマでキュンとしてたし。

テレビは、もっと性的にギリギリな表現とか、
モラルハラスメントでアウトな表現とか、たくさんあって。

幼心にそんなテレビをみては、
親と一緒に見るのが恥ずかしくもあり、でも興味もあるような。

たぶん、昭和のおじさま、おばさまたちが集まって話したら
「あった、あった」と酒のつまみにすること間違えなしなネタはいっぱいあり。


当時の常識で、今の非常識は本当にいっぱい。

それだけ、人間が当たり前だと思い、信じているものは環境の変化と共に
大きく変化するものだから。

だから、今の身の周りにあるものも、いつか当たり前じゃなくなるかもしれないし。
多くの人にとっては当たり前でも、あなたにとっての当たり前にするかどうかはあなた次第ということで。


自分の心の中の想いに素直になって、当たり前じゃないものに
ちょっと開けてみると、案外と道は開かれることもたくさんあるのかもしれないよね。

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