「チップはむずかしい」(村上春樹著「村上ラジオ3」より)感想文
わからないことがありのままに記述されているのが村上春樹のエッセイの魅力の一つだ。 わからないということがどういうことなのか村上さんに学んでみよう。
(注:このエッセイは海外でチップを払う時の金額の決め方、つまり「チップ問題」について書かれたエッセイです。)
・チップ問題に「正解はない」のか?
このテキストではチップ問題についての対応策が論じられている。村上さん自身はこの問題を相当にむずかしいと思っている模様。その証拠に村上さんはこのチップ問題に安易な結論を与えないようにテキストを構築している。
難しすぎて、「正解がない」という結論さえ出ない。
どういうことか? チップ問題は奥が深いのです。
村上さんは「率直に言って、『こうすればいい』という正解はない」とエッセイの前半ではっきりと言い切っている。しかし、これを結論と思ってはいけない。実際にはそれに対しても反論が用意されている。
「見当をつけてやっていくのがいちばん良いみたいだ。」と経験則を述べているからである。
ここで湧き上がってくる問いがある。「正解ってそもそも何?」
村上さんのテキストを読んでいると、単一の結論に結びつかない議論にイライラすることもあるだろう。しかし、ここで村上さんの筆にようく注意してみると、そこでは言葉の細かなニュアンスが面白い響きを帯びていることがわかる。難しく言うと、多義的なテキストと言えばいいのだろうか。
確かに考えてみると、チップ問題についての正解とはなんだろう?
正確にその時々で渡すチップの額を決める方程式みたいなものを求める、となると、村上さんの言うとおり、「『素粒子理論』に負けないくらいむずかしい」ということになりそうだ。しかし、考えようによっては「わかりやすいといえばわかりやすい」。なぜなら人間が手から手へと実際に手渡すものだからだ。そこでは「勢い」みたいなものがわりに重要になってくる。
このように考えていくことが、実は「日本という国を外側から眺める」ことに繋がっていく、というのが村上さんの本エッセイの凄みである。
・本当の「チップ問題」とは何か?
最初、村上さんの言葉では、チップ問題とはおおよそ「渡し方の要領」のような意味で使われていたものだった。しかし、ここに来て、本当の「チップ問題」が浮上してくる。
それは、チップという手渡しの制度にも「利点」があるとわかった以上、一見便利であると思われていた日本で用いられているサービスにも案外「不便な点」があるのかもしれないということだ。「『素粒子理論』に負けないくらいむずかしい」と一見思われていたチップ制度だが、それを言えば、日本のサービス制度だって負けず劣らずむずかしいことがわかってくる。つまり、矛先は日本の消費税やサービス料という直接個人から個人へ渡されるわけではない現金へと向けられるわけなのだ。
つまり、問題は「チップVSシステム」というより熾烈な戦いへと変更されたことになる。
こうした大きなスケールの問題に、「チップってむずかしい」ということから辿り着いてしまうのが村上エッセイの凄みである。
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