日常と、その先にある未来
わたしの一日は、ある人の「おはよう」から始まる。ここのところずっとそうだ。だからわたしも「おはよう」と返す。欠かすことなく。
わたしの中でこの人が特別になったのは「おやすみ」と一緒に「また明日」という言葉をもらったときからだ。ごくありふれた言葉なのに、わたしは思わず泣きそうになった。この人の明日にわたしが既にいること、そしてきっと明日もまた「おはよう」から一日を始められることを、たまらなくうれしいと感じた。
なぜだろう。特別なことは何もない。社交辞令でも交わすことのある「おはよう」と「おやすみ」が、どうしてこんなにもわたしの胸に響くのだろう。この人の飾らない言葉がもっとほしい。
恋と呼ぶにはまだその人のことを知らなければ、ロマンチックな出来事だって何もないけれど。だけど愛と呼ぶには十分だ。
この人の日常にこれから先もずっと存在していたい。わたしの日常になってほしい。愛とは日常だ。わたしはこの人と愛を育みたいと思っている。
愛は恋の上位互換だと思われがちだけど、改めて別物なのだなと感じる。恋心よりも先に愛が芽生えたことなんて過去には一度もないけれど、そういう始めかたも悪くはないかも知れない。
先のことなんて何もわからないけど、わたしたちは今夜もまた「明日のあなたに会いたい」と互いに願いながら眠りに就き、目が覚めて「おはよう」という言葉を贈り合うのだろう。与えてもらえる未来にまた泣きそうになる。同じ喜びを返すことができているだろうか。
美しい日常の、何気ないひとコマが、これから先のわたしの生きる糧になる。愛してる。彼を。彼の取り巻くすべてを。彼といるときの自分を。だから、どうか、もう少しこのままでいさせて。
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