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巡るものの中で揺蕩っている

抗うことが好きではない。
抗うだけのエネルギーが出せないとも言う。

悪い流れにいるときは、それらをすべて受け入れてきた。今はそういうときなんだな、と思うようにしてきた。

なんていい感じにまとめてみたけど、地獄みたいな時間を重ねたことも幾度とあったように思う。

地獄みたいな時間というのは、わたしの過去の言葉で表現するとすれば「優しくなれなくて泣いた夜」

優しくなるという無敵のパワーでいつなんどきも抗える人だったら、きっとわたしは誰かを傷つけたりなんてしない。

反対に常にとても優しい気持ちで穏やかに暮らせることもある。それは良い流れにいるときの特徴だ。

つまるところ、わたしに「ありのまま」などないのだと思う。わたしはわたしだけど、毎日ちがうわたしで、頑張れない日もあれば頑張りすぎてしまう日もあって、強がる日もあれば弱音しか吐けない日もある。

頑張りすぎることや強がることを「ありのままの自分ではない」と言ってしまえるほど、わたしは自分の確立された姿形や考える物差しや安定した精神を持ち合わせていない。

だからわたしはたとえばお天気がいい日に喫茶店の窓際の席に座れただけで幸せになれたりする。なれないときもふつうにある。

そんなふうに適当に生きている。

よくわからない流れの中でふわふわと浮いていて、頑張りたいときにだけ頑張るけれど、頑張りたくないときは絶対に頑張らない。

優しいわたしで居続けられなかったわたしのことを、もしきみが嫌いになったと言うのなら、きみが好きになったわたしはいったいなんだったんだろう。

きみがわたしに対して思い描いていたなんらかの型みたいなものに、ハマり続けていられずにごめんね。

元気にやってますか。
きみがどれだけわたしを傷つけても、冷たくあしらっても、人生から弾き飛ばしたとしても、きみがきみであるという事実だけで、わたしはきっと永遠にきみを想い続け、輪郭を失いつつある思い出を糧に生きていくのだと思う。

ありふれた日常の中で、いつだってきみが好きだった。

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