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ロシアな夜~永久機関としての歌声喫茶とサウンドスケープ

田上碧リサイタル@サモワールへ。サモワールは隠れ家風ロシア料理屋だそうだが、定休日に色々なイベントをおこなっているらしい。場所は池尻大橋。東東京からは半蔵門線に乗り一本だから便利だ。渋谷まではこの経路でしょっちゅう行っているが、渋谷を越えるのはひさしぶり。昔は、渋谷から二子玉川までの区間を新多摩川線、二子玉川からを田園都市線と呼んでいたが、現在は池尻大橋からはすべて田園都市線と呼んでいる。時間はアラウンド18:30。田園都市線としては危険な時間帯だ。ここから殺人的な帰宅ラッシュの時間になる。ゆえに池尻大橋や三軒茶屋で降りる場合は、降車口がどちらかは絶対に覚えておかねばならない。田園都市線沿線から移住して、かなり経つがさすがに覚えていた。進行方向左だ。田園都市線はこれを間違えるとかなり面倒なことになるので要注意だ。
日本在住者、観光客含め外国人が多数いる東東京から来ると空気がピリピリと痛い。「いい大学に入り、いい会社に入る云々というのはもう古い!」と言われてひさしいが、この沿線ではまだまだそのような空気を感じる気がする。
やはり東東京は、色々な人種(国籍だけではない)を受け入れている空気のユルさがあるなぁと改めて確認した。そういう生きるすき間みたいなものは人間界にはとっても重要だ。

三軒茶屋駅に到着。今日の会場は池尻大橋と三軒茶屋のちょうど真ん中辺りなので、なじみの深い三軒茶屋から行くことにした。三軒茶屋はあまりディープに決定的な思い出はないのだが、たまにしか会わない人とのライヴとかイベントとか、ちょっと何かのきっかけやトリガーに後々なったという中くらいの思い出が多い所だ。昭和女子大学人見記念講堂なんかもガムランの公演があったりして馴染みがある。あとバンドメンバーが「超美味しいカレー屋がサンチャにあるから!」と言うのでメンバー全員で下北沢から三軒茶屋まで移動したが、あんまり美味しくなかったなんていうショボい思い出もある。
あと長い間デュオを組んでいたフルートの人が三軒茶屋の音楽教室で講師をしており、よくそこでリハーサルをした。とてもお金持ちの家のご令嬢で、自宅でリハをする時もあった。いわゆる建築家がデザインしたタイプのスコーン!とした外壁を入ると地下にハリウッド映画に見たような螺旋階段があり、そこを降りるとピアノとマティスみたいな絵と小さい立体の現代アートとか置いてあって最初はおぉ!とびっくりした。ところがその相方のフルーティストは「あんた何言ってのよ~!ギャハハハ!」みたいな若いのに始終おばさん話法しかしない人でそのギャップがなんとも微笑ましくて信頼できる感じだった。今はどうしているのだろうか。(遠い目)
池尻大橋は、レコーディングで6時間ぐらいひたすらリップノイズを取った(のを横でじっと待っていた)という不思議な思い出がある。とてもお世話になったスピ系の先生に頼まれて、前世療法、来世療法とかのいわゆるヒーリング音楽の作曲&レコーディングをした。前のシリーズまではその先生の弟子であるEPOさんがやっていたというわりと立派なCDシリーズだった。
その曲のレコーディングまではこちらでやって、その後の先生の誘導催眠ナレーションのレコーディングをかなりの時間をかけておこなったのだ。
その先生は、海外経験が長いためか、破裂音強め、リヴァーブ型倍音深め、だったのでリップノイズがムチャクチャ多かった。それゆえ、ナレーション自体は1、2時間ぐらいでおわったのだが、その後エンジニアの盟友がひたすらリップノイズを取っていたのである。大変な思い出だが、その先生はムチャクチャいい先生なのでとても感謝している。

三軒茶屋から渋谷までの246沿いは景色もなんとなく記憶があり、土地勘があるので地上に出てフラ〜と歩き始めてもサモワールの方向はわかった。

到着して、しばし風水チェック。なるほど。何か「陽」の気が出ている。これは今日は楽しいライヴになりそうだ。

演奏開始前、独特のシ〜ンという空気になる。これはどんな演奏者でもそうではなくて、今日はどうも~みたいな挨拶をしてワサワサした中から演奏を始める演奏者も多い。会場を鎮める、田上パワーともいうべき特別な才能だ。
今日は声は生で、ギターはアンプ。会場の大きさとアンプの大きさがちょうどよい。デカいアンプでちっこい音を出す、小さいアンプでヒィヒィいいながら大きい音を出す、どちらとも違うちょうどよさだ。
案外、会場にちょうどいいアンプ、というのをさぐりあてるのはなかなか難しい。その点でも今日は1回表1番打者いきなりセンター前に抜けるヒット、という感じで全体に安心して聴けた。
あいかわらず伸びきったロングトーンの母音が会場の壁にあたり、しっかりと跳ね返るのが心地よい。田上さんも、壁に当て、跳ね返る、壁に当て、跳ね返るというのをテニスや卓球の球が返ってくるやつ、みたいに感触を確かめながら音の反響のやり取りを楽しんでいた。
さらに倍音や実音が壁から跳ね返り、また別の壁に当たる時には差音のうなりが発生する。
完全に会場の響きを把握している田上さんはその差音がうまく発生するようにホワイトノイズ成分多めの発声を出したりして、ヴォイスパフォーマー兼サウンドインスタレーション作家兼サウンドスケープアーティスト(部長兼センター長兼統括本部長みたいな感じ)としての本領を発揮していた。
聴き手の魂を震わせる吟遊詩人から現代アーティストを行き来するスリル、これもまた田上さんの醍醐味だ。

さて、今日は上記のような側面に加えてナチュラルボーンエンターテイナー(生まれながらのエンターテイナー)としての田上碧の側面も垣間見ることができた。

途中『長い道≒悲しい天使』というロシア民謡を歌ったのだが、この曲の時に「さぁみなさんも手拍子とコーラスをどうぞ!」という展開があった。
実際は「どうぞ!」というよりは「もしよろしければみなさん手拍子とコーラスをするのはいかがでしょうか?」ぐらいなテンションだった。
ライヴではよくある風景だ。だが田上さんがするというのは驚きだった。
その誘い方(いざない方)に照れみたいなものは微塵も感じなかったが、自然にナビゲートするというよりも「他の人のコンサートで見たようなコール&レスポンスをやっている自分」を田上さんがメタ的視点で楽しんでいるような複合的な景色が展開されていたように思う。
ただ歌い始めると、憑依が始まり、そのような複合的な景色をふっとばすような「ほな!やったるでぇ!」という関西的なラテン的なノリになるのが田上さんの真骨頂。
歌い始めればナチュラルボーンエンターテイナーとしての本能が起動するのだ。
客席はほぼ全員積極的にその手拍子をしてコーラスを歌うというミッションをおこなっていて、曲がロシア民謡なだけに、さながら昭和の歌声喫茶の様相を呈し、あたたかいAtomosphereに会場が包まれた。

そしてさらに特筆すべきは久保田早紀さんの『異邦人』がプログラムに組み込まれていたことだ。
これは長年久保田早紀を聴き続けた自分にとっては目ん玉飛び出るぐらい驚き衝撃を受けた。わかりやすい表現をするならばムチャクチャうれしかった。
久保田早紀のファーストアルバム「夢がたり」を初めて聴いた時は、脳天を貫かれるぐらいの衝撃だった。そしてセカンドの「天界」、ポルトガルリスボン録音のサードアルバム「サウダーデ」も脳天を貫かれるぐらいの衝撃だった。そして4枚目のアルバム「エアメール・スペシャル」を聴いてあまりの方向転換と雰囲気のショボさ、に今度は逆方向に脳天を貫かれるぐらいの衝撃を受けて、そのままリングにベッタリとダウンしてしまった。その後のアルバムも久保田早紀が「そこいらへんのアイドル」に変わっていく感じでやるせなかった。その衝撃を受け続けている間に久保田早紀は引退していった。
久保田早紀はすでに久保田早紀ではなく、教会でプロテスタントの教えを伝道するキリスト教の伝道師久米小百合になっていたのだ。
(m-floのVERBALらとともにキリスト教の配布用書籍「パワー・フォー・リビング」の広告にも登場している)
そうしてかなり時間がたったが、最初の3枚はウルウルしながらずっと宝物のように聴き続けていた。
そんなある時よみうりカルチャーセンターでいきなり「久米小百合さんとゴスペルを歌おう!」という素っ頓狂とも言えるチラシ(フライヤーではなくチラシだ)が目に入った。なんじゃこりゃ!と思ったその時には、すでに申し込み受付カウンターにいた。
そうしてよみうりカルチャーセンターの歌の先生(?!)として憧れの久保田早紀a.k.a久米小百合に会って、普通に「はい、では次、下のパートの人だけで音程練習しましょ~」とアルトを単音で弾くとかしていてそれはそれでかなり不思議な体験だった。(CDにサインはもらった)

そのような久保田早紀への思い出とともに聴く、田上さんの『異邦人』は久保田早紀のイメージを払拭するオリジナリティあふれる表現だった。
まったく久保田早紀を思い出す感じではなく、『においだけの海』の海の先につながるような独特な世界である。
もともと田上さんの声は「ナチュラル哀愁」のような成分が含まれいるのでロシア民謡のみならず、ファドもとてもよく似合う。
ポルトガル語やスペイン語のカヴァーも是非聴いてみたいものだ。

この異邦人ぐらいからだろうか、最近日常化している激しいスコールが世田谷区にも訪れた。
おそらく田上さんは、この音も自らのサウンドインスタレーションに呼びこんだのだろう。『モーター・リバー』の雨の歌詞とも呼応するというシンクロニシティだった。
そうこうしているうちにラスト曲の『においだけの海』へ。
料理でも、何々と何々を食べた後に食べる何々はまた違う味わいを楽しめる、なんていうことがある。
この『においだけの海』も、ロシア民謡ありの久保田早紀ありの豪雨ありの後で聴くと、また全然違う味わいと趣があった。
何々と何々を聴いた後に聴く何々はまた聴き心地が違う、ということを学んだ夜だった。
帰りはほとんど小雨で、余韻に浸りながら帰ることができた。
それにしても「本番当日に怪我をしていない才能」「本番当日に電源アダプターを忘れていない才能」「会場入りの時に電車が遅延していない才能」(他数十個の才能)に加え、今日は「お客さんの行き帰りの時間帯には豪雨がきていない才能」までサラリと発揮した田上碧。さすがである。

田上碧HP


























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