見出し画像

親は子どもの勇気に支えられている

 

#子どもに教えられたこと

 娘は幼稚園からピアノを習っていた。

 私はピアノを弾けないが、小学校で合唱をしていた時、伴奏できる友人を羨ましく思い、「習いたいな」と心のどこかで思っていた。でもウチはお金がないから無理だろうなとも思っていて口にすることはなかった。

 だから、娘には親が憧れていたピアノを習わせることにしたのだ。

 まずピアノがなかったので電子オルガンから買い、小学校2年の時、アップライトピアノを買った。小学2年の時、初めてピアノコンクールに出ることになった。娘の楽譜には私がドレミをふってあげた。娘は一生懸命練習して間違わずに弾けるようになった。娘の楽譜には「お母さん、ドレミを書いてくれてありがとう。〇〇大会めざしてがんばるよ」と書かれてあった。

 大会当日、審査発表で次々と入賞者の名前が呼ばれていった。「・・・これで終わります」娘の名前は呼ばれることなく、大会が終わってしまった。ふと見ると娘は泣いていた。「なんで泣いているの?名前が呼ばれると思っていたの?」目を真っ赤にして娘はうなづいた。

 会場を見渡すと、他には誰一人泣いている子どもはいなかった。小学校低学年のほとんどの子どもたちにとって、「ステージに上がってとにかくピアノを弾く」こと自体が目標であって、別に入賞しなくても大きな問題ではないし、賞があることすらわからない子どももいたかも知れない。

 しかし、娘は違っていた。1番最初に曲を弾いた時、全然できなかったのに、本番では1回もミスすることなく楽譜どおりに音を弾いたから、絶対に入賞すると思っていたのだ。入賞して次の大会まで出場することは、娘の頭の中で既に決まっていたのだ。小学校2年生の子どもが、初めてのコンクールで悔しいと泣いていること。最初は、親として恥ずかしいと思ったが、よく考えてみるとスゴイ根性だ。娘の持っている「強い意志」を見たのはこれが3回目だった。

 1回目は、私の転勤と同時に転居して母娘2人暮らしをするかどうかを決める時だった。そのまま祖父母と一緒に暮らしてもよかったが「お母さんと一緒に新しいアパートに行くよ」と娘は言った。「おかあさん。あたらしいアパートでもいっしょにがんばろうね」娘は私にこんな手紙を書いて渡してくれた。私は、内心とても不安だったが「この娘を支えて頑張ろう!」と思った瞬間だった。

 こうして、娘は小学校2年生で転校し母一人子一人の生活が始まった。娘はもともと活発で明るく物おじしない子どもだったが、すぐには友人が出来ず、ノートのお絵描きが増えていくのを私は心配していた。ある日、「今日何して遊んできたの?」と聞くと「〇〇ちゃんに混ぜてっていったら、ダメって言われたから、一人で学校を探検して階段の数を数えて遊んだよ」と娘が言ったので親の私が泣いてしまった。娘にそんな苦労をかけていることが辛くて「ごめんね。前の小学校に戻ってもいいんだよ」と言うと、娘は「ううん。いいよ。もうお別れ会してきたから。戻らないよ」とキッパリ言った。「お別れ会しても戻ったっていいんだよ」と言うと、また娘は首を横に振った。

 娘はそういう子だった。決めたことは振り返らない。戻らない。

 親の私は違った。「あの時、こうしていれば・・」といつも過去を振り返って後悔や反省ばかりしていた。

 その後、娘には親友も出来て(今でも付き合っている)、クラスで委員長に立候補するなど活発に学校生活を送った。ピアノでも何度か上位大会まで進出した。今でもピアノは習っている。

 娘のピアノを1番楽しみにしていたのは親である自分だった。家で何度も聞いていたピアノの音色に1番癒されていたのは私だった。ひとり親として、娘を支えようと必死になってきたけれど、娘の勇気に支えられてきたのは私だった。

 娘にはずっと近くにいてほしかった。しかし娘はどんどん自分で決めて、どんどん遠くに行ってしまった。今は大企業でバリバリ働いている。「今が最高に幸せだよ。周りにも恵まれている」娘がそう言っているのだから、親は寂しいけれども、子育ては成功したのだろう。

 「そうだよ。お母さん。大成功だよ」(笑)まだまだ未熟な娘ではあるが、自分でそう言うところは、いかにも娘らしい。

 先日、「来年結婚するよ」というメールとともに彼氏とのツーショットが送られてきた。

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?