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ゴッホの耳切事件はもうドタバタコントとして見るべき

ゴッホはおもしろいんだぞ。ゴッホは西洋画家でも特にヤバいんだぞ。伝記とか超笑えるんだぞ。

特に「炎の人ゴッホ」が上映されてからは「ゴッホ=情熱半端ない画家」と捉えられているが、いや実際は情緒不安定かつ仕事をしない。一言で言うと「メンヘラヒモおじさん」なのだ。

映画『劇場』のダメ主人公に近い。または下北の周辺に生息して菅田将暉くんの芝居を上から目線で批評する役者崩れや、andymoriに憧れすぎたバンドマンみたいな感じ。

そんなゴッホのメンヘラっぷりが存分に出ているのがゴーギャンと繰り広げた「耳切事件」だ。集大成だ。これはもうほぼコントとして見たほうが面白くて分かりやすい。今回はゴッホの耳切事件をみんなで楽しく見ていこう!

そもそもゴッホはマジでダメなやつ

ゴッホは1853年生まれの画家だ。いわゆるキレやすい子どもで高校も中退。伯父のコネで画商になるも失恋して病んでキリスト教にハマり、22歳で有給申請を却下されたにも関わらず無視して休んで解雇される。

その後、聖職者になるために受験勉強をはじめるもついついサボっちゃって父から「お前、ニートやんけ! もう自分で稼いでちょんまげ」と言い渡されてさらにやる気を無くす。しかしなんだかんだあって伝道師になる。でも結局のところ教えが自己流すぎて「ゴッホ、あんたキリスト教分かってねえわ。解雇です」と言われて伝道師の夢も断たれた。

で、その後「夢も希望もないよ……」と鬱状態で放浪生活をした果てに実家に帰って父親から「精神病院行こや」と言われたことにキレて家出。1880年ごろから弟・テオのヒモになって気ままに絵を描き始めた。ゴッホが絵を始めたのは26歳ごろからだ。意外と遅いスタートである。

28歳にして未亡人に恋をして求婚するも「ヒモニートやん。無理よ無理」と拒まれてまたも病む。でも諦めきれずテオの金で相手の実家に押しかけるも「やっばい! こいつしつこい! もう帰って!」と相手の家族から言われてオランダ・ハーグに移って画家コミュニティに揉まれるようになる。

でも「ちょっとだけ、ここ変えてみたら?もっと良くなりそうだよ」と他の画家から指摘されると「ああ?てんめーこら! 誰にものいってんだこら!」とガチギレするのでハブられる。しかもテオからの仕送りが遅れると「お前が金をよこさねーからモデルの娼婦雇えねえだろうが!さっさと金よこせこら!」と立派すぎるヒモっぷりを見せつけた。ゴッホ、このとき29歳。やばすぎるアラサー。

三十路になってからも、周りの画家たちと喧嘩し、求婚しては振られ、家族から見放され、同居を始めたテオからの金で生活をしていた。テオは心労のあまり妹に「もう限界だわ。早よ出ていかねえかなあの三十路の穀潰し」と相談している。

で、35歳にして南フランスのアルルに移住。ゴーギャンとの共同生活が始まるわけだ。

ゴッホ「耳切事件」の真相

ゴーギャンも当時金がなかった。そこでゴッホが「一緒に住みませんか? シェアハウス安くなるので」とLINEを送り、ゴーギャンもOKを出した。

前提としてゴッホはゴーギャンを崇拝していた。なのでゴーギャンが到着する前に死ぬほどテオにお金を催促して作品を描きまくった。どうしても合流の前に自信作を仕上げたかったんだってさ。あの「ひまわり」もこの時に描いた作品だ。

で、ゴーギャン到着。最初はゴッホは「もう最高なんだが〜!楽しすぎるんだが〜」とテンションMAXだったが、なんかだんだん喧嘩が増える。というのもゴッホって基本に忠実に描くリアリズムを大事にする画家だったが、ゴーギャンはむしろ逆だったんです。フォービズム(野獣派)といって目に映るものを疑い、感じるままに筆を動かすという作風だった。

ゴッホはゴーギャンのフォービズムに対して「いや人の肌そんな赤くないわ」とか「人の骨格はもっとしっかりしとるわゴム人間かよ」とかツッコミを入れだした。

……こ、これは恥ずかしい。そもそもゴーギャンはそういう表現技法であり、そこに意義があると思っているわけで、それを「下手だ!」と指摘するのはダメだろう。神聖かまってちゃんに「変な人のふりをすな。普通に歌えるだろお前」と言ってしまうようなもの

案の定、ゴーギャンとゴッホは激論。ゴーギャンは去り際に「おめえの耳、変な形だな!」と小学生みたいな悪口を残して、さっさとアルルの家を出てしまう。

ゴッホはその後、メンヘラっぷりを如何なく発揮して、剃刀で自分の耳をそぎ取り、共通の知り合いである娼婦に「ゴーギャンに渡しといてくれ」と言って精神病棟に入院した。当時の新聞に「やばいやつあらわる!」と記事が出たほどの騒ぎだった。

ゴッホ耳切り事件のオチ

ゴッホは退院後、再度アルルの家に戻って「耳のない自画像」を描いた。当時の心情も含めて「残しておかねば」と思ったのかもしれない。実際、そういう理解のされ方をしている。

いや、でもこれ「ゴーギャンに対する愛情」的な見方もできるよね。傷ついた自己への陶酔というか、ゴッホの本を読めば読むほど「俺、こんなに傷ついてんぞ!」という主張がありそうな気がしてくる。これはいわゆる自傷だ。ちょっともうヤンデレっぽい感じになってる気さえするのである。

ゴッホは死後に売れたからわらえる話し

ここまで含めて、耳切事件を見て「ゴッホすげー!さすが芸術家!」と憧れる方もいるだろう。いや、でもぶっちゃけ「どたばたコント」ですよね。下手うま作品作ってる美大生の喜劇だよこれ。

そう考えたらゴッホみたいに苦しんでいる自称・アーティスト的な方々は現代にもいる。ただ現代は生きづらさを感じる方々にもっと優しい世界だ。

「耳の形が悪いって言われた。ぴえん」とインスタに耳の写真を載せれば、誰かがいいねしてくれるだろう。「認めて欲しい人に認められない。ぴえん」と呟けば誰かが慰めてくれるだろう。いや実際のところそれでいいのだ。生きるための元気のために自己承認を満たすのは素晴らしい。

ちなみにゴッホが生前に売れた絵は4枚だ。しかしその後に、有力な画商が取り上げてから人気が出て、名のある映画監督が伝記を作ってから今の知名度を得た。ゴッホは死後に売れたから生前のドタバタ具合が笑えるんだね。

だからいま「売れたい」と思ってるメンヘラクリエイターたちはガチガチに消費者に媚びた作風に切り替えて、1年バイトしてさっさとお金を貯めて、SNS広告打つなりメディア掲載するなりしよう。じゃないと、いつの間にかドタバタコントの主役になっちまうぞ。

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