台湾のいなげやの残骸はセブンイレブンで傘を売っている
お久しぶりですひらじゃです。
Aコープの記事がなんだかんだ結構いろんな方に見られてて焦っております。今回こそ軽い記事にします。
今回は(タイトルでネタバレをしているのですが)、いなげやという関東ローカルでイオングループ(広義)の企業が関係する、台湾の「珍店舗」のお話です。
1.いなげやって?
皆さんは、いなげやってご存じですか?関東のローカル性が強いスーパーなので少々解説しましょう。
いなげやは関東を中心に展開するスーパーマーケットです。本社は東京都立川市。現在の店舗は、東京・神奈川・埼玉・千葉に136店舗。基本的に食品スーパーを首都圏内の住宅街に散発的に展開する感じの会社です。あとメインとは言えませんが、都市型事業といえる「Blooming Bloomy」だとか、小規模な業態である「ina21」を展開していますね。
このタイプの「首都圏住宅街散発型(勝手に名付けました)」のスーパーは競合が結構いるんですが、そういうところは数十店舗のところが多いと考えると、かなり勝ち組の方といえると思います。
それを裏付けるように、1970年代から東証上場企業です。
しかし、その売上高と利益は2000年ごろからは緩やかに減少しているようであり、必ずしも順風満帆とは言えません。これは鉄道系スーパーなどと事情が似ています。この背景にはオー〇ーとかロ〇アみたいなディスカウント系スーパーに押されている面もあるでしょう。
そんないなげやは現在イオンとの提携を強化しています。実は2004年からイオンの資本を受け入れていたのですが、2023年になってイオンの連結子会社になるという選択をしました。
この背景には、やはり先述した通り伸び悩む「いなげや」と、そもそも首都圏が他地域に比べると出遅れている(だから田舎のスーパー扱いされる)イオンの利害が一致したところがあります。
いなげやは2024年11月にイオンが主導する首都圏のスーパーマーケット連合の持ち株会社、ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス(USMH)の100%子会社となり、マックスバリュ・カスミ・マルエツと並べて「イオン系首都圏スーパー」としての道を歩むことになります。
さて、今回はそんないなげやの「黒歴史」かもしれない話をします。
2.小売業の海外進出と台湾
これが今回のメインテーマ、台湾進出のお話です。
ある程度以上の規模を有するスーパーマーケットは、おそらく一度は海外進出の事を昔から考えていたでしょう。もちろん、いなげやもその一つであったとは思います。
しかし、今でこそアジア圏は進出しようと思えばできる地域が多いですが、何十年も前となると、法規制と経済水準から、進出できる国はかなり限られていました。
海外進出を行えるためには二つの条件を基本的には満たす必要があります。
・法規制の緩和…すなわち、「外資」を取り入れるという方針を明確に示すことです。日本でこの方針が示されたのは2000年の「大規模小売店舗立地法」の制定あたりといえそうです。基本的には、民主主義では緩和が進みますが、独裁政権などだと自国優遇などの事情でそうはいきません。
・経済状況の安定…スーパーマーケットは生活必需品のようで、実はそうでもありません。食料品は自給自足・配給・個人商店などいろんな方法で手に入ります。意外と、スーパーマーケットは社会形態が発展してきて初めて成り立ちます。
かつて、イオンの岡田卓也名誉会長は、こんなことを言いました。「小売業は平和産業である」と。平たく言えば、平和である必要があります。
日本の百貨店/スーパーがある程度成熟していた1970年代当時、これらを満たすアジア諸国は殆どありませんでした。しいて言うならタイと香港くらいです(百貨店に進出事例有、ジャスコも最初の海外進出はタイ)。ここからそれぞれの国が規制緩和、外資受け入れを行って、初めて海外進出が現実味を帯びてきました。
ここで台湾の状況に目を移します。台湾こと中華民国政府は、第二次世界大戦の数年後、中国本土から追い出されたところから幕を開けます。1950年に台湾を拠点として中華民国の再組織が始まるのですが、当初のそれは決して民主主義ではありませんでした。
まず、中国国民党による一党独裁でした。それだけなら今の中国(大陸)なども事実上その状態なのですが、もう一つ戒厳状態でした。
この状況の中で、民主主義は制限されてきました。もちろん、共産主義に対抗するという大義名分はあるのですが、選挙も言論の自由もない状況が続きました。もちろん、外資の受け入れなどほぼあり得ない状況でした。
しかし1987年、この戒厳令はついに解除されました。これには、ペレストロイカなどによる共産主義の弱体化と、アメリカから「いい加減うちの仲間だったら民主主義でいろよ」と言われたらしいことが関連しています。
こうなってくると、外資系の進出も現実味を帯びてくるのです。
ここですでに成熟していて、売上の拡大が厳しくなっていた日本のスーパーは、こんなことを考えるようになるのです。
3.台湾進出ブームの到来
「台湾に進出すれば楽勝なんじゃね?」と、各スーパーは考えました。
なぜそう思ったのか、これは「国民感情」が関係するといわれています。
平たく言えば、東南アジアや中国、韓国あたりが大戦の影響で日本にあまりいい印象を持っていない一方、台湾はむしろ良い印象を持っているといわれています。
俗な言い方をすれば、他国は「反日」である一方で、台湾は「親日」です。
それでいて、今の今まであまり現代的なスーパーは生まれていません。日本のスーパーにとって、「よーいドン」で始まる台湾への進出は「夢」を見せました。
その夢はブームを引きおこします。「日本の中堅スーパーの台湾進出ブーム」です。このころ、既にヤオハンやイオンなど、多くのスーパーが海外に進出したのですが、彼らよりも早い時期に中堅スーパーが進出したのでした。
そして、いなげやもそのうちの一つとして、台湾に進出したのでした。
これは公式サイトの「いなげや物語」にも、「果敢な挑戦」の一つとして記録されているのです。
しかし、台湾は楽勝だったんでしょうか。もちろん、そんなことはありません。上の表を見ていただければわかるように、中堅スーパーの大量進出は同時に、中堅スーパーの短期間での撤退を招くことになったのでした。
彼らは何を間違ったのでしょうか。一つはバブル景気の影響で日本企業に金が余っていたけど、実際にはそんな余裕などなかったことがあります。バブルの崩壊後、バブルの崩壊→投資が難しくなる→撤退というオチを生むのでした。この裏には当然、投資を少なくしても海外市場を乗り切るという経験不足もあります。
そんな中、いなげやは比較的頑張りました。1988年進出→2002年撤退というのは、14年という月日、いなげやを台湾に存続させたのでした。長くもないですが、短くもなかったのです。
そんないなげやは、合弁方式で進出しました。具体的には、現地の製造業である、裕源と組んで、「裕毛屋」を作るという方法でした。この裕源が実は今回の主役です。
その「裕毛屋」は、全盛期には11店舗を持つことになりました。これは、台湾進出ブームの中では最も店舗数を増やすことに成功したのでした。
しかし、2002年についに台湾の合弁から撤退をすることになります。
日本食糧新聞曰く、競争力を強化するため国内事業に経営資源を集中するのが狙いだそうです。実際この頃のいなげやは、最盛期は過ぎていて、2年後にはイオンの資本を受け入れて提携することになります。この判断は妥当というものでしょう。
4.台湾いなげやの「今」
さて、その「裕毛屋」の今をご紹介しましょう。
以下の写真は、2024年3月に筆者が訪問した記録です。
場所は台中市。名前の通り台湾の中部に存在します。
台中について少々ご紹介しましょう。
また、日本人としての観点からみると、「17階建てのそごう」があります。
このそごうもなかなか歴史が面白いのですが、端折っていうと、かつて日本のそごうのシンボルの一つであった小さな世界が流れる時計が現存しているという特徴があります。
さらに近年でいうと、三井不動産の「ららぽーと」が台湾初進出、その中にテナントとしてロピアが海外初進出、さらに郊外には同じく三井不動産の「三井アウトレットパーク」があるなど、日系小売業が多く面白い地域です。
そんな台中の中心地から少しだけ離れた住宅街(ただし幹線道路沿い)に、「裕毛屋」と書かれた店舗が存在しています。口コミあたりを見ていると高級住宅街であり、それに合わせて高級スーパーとなっているとの記述がみられます。
ここで台湾(と香港も似ている)の高級スーパー事情について簡単に語ると、それはすなわち日本製品の取り扱いを意味します。「日本の製品は高級品扱い」であり、それの代表格が香港資本の「City Super」です。日本の商品が多く揃います。
「裕毛屋」もその高級スーパーの一つであり、多くの日本食品の扱いがあります。少々外装を紹介するとこんな感じです。
外観からはまあそこそこ高級そうな紀〇国屋みたいなことが書いてあるような気がしますが、内装は相当日本日本しています。
とここまではまあ台湾でありがちの高級スーパーです。しかしながら、この会社の独自性はこれにとどまりません。
5.謎の日本との繋がり
まず、独自の取り組みとして、ホクレンの北海道冷凍野菜の取り扱いがあります。
日本語の解説もなぜかあったので抜き取ってみましょう。
ここでいくらか疑問に残る場所を抜き出すとこ、日本本社(株式会社裕源)という記述でしょうか。
先ほど、いなげやは、台湾進出の際に台湾の現地製造業の裕源と合弁を組んだと話しました。この時点で確定するのは、いなげやは台湾撤退の際、合弁会社の裕源に売却したという事実でしょう。
しかし、裕源って日本の会社だったんですか??
しかも、この会社、なかなか強そうです。互興運輸という投資企業があり、極め付きはエバーグリーングループと合弁があります。エバーグリーンは台湾を拠点する総合物流企業で、メインは海運ですが、エバー航空という子会社もあります。少なくとも売り上げは兆はくだらない、超巨大企業との合弁を持っているのです。
もう一枚ご覧いただきましょう。ここでようやくタイトルに近い文言が出てきます。
日本のヨークベニマルスーパーに輸出される野菜たちというPOPです。ヨークベニマルはコンビニファンドセブン&アイホールディングス傘下の、福島/北関東に展開している食品スーパーです。むやみな改装と撤退を繰り返すどっかのスーパーとは違って業績も好調になっています。しかし、台中のこのスーパーがヨークベニマルに輸出するんですか??
6.株式会社裕源って?
日本人が外国企業を探すより、日本人が日本企業を探すのは楽です。日本本社こと株式会社裕源って何なんでしょうか。
と、ネットで調べたらすぐに見つかります。少々わかりにくいですが、下の方にこんな記載がありました。どうも食品スーパーを管理しているのはこの会社で間違いないようです。裕毛屋企業股份有限公司という名前でやっているそうですね。公式サイト曰く、営業しているのは2店舗です。合弁最盛期に比べると減ってしまいましたね…
これは、いなげやの合弁先であった裕源で間違いないでしょう。
裕源の事業を公式サイトから少々抜き出してみましょう。
本社は神奈川県厚木市。元々は台湾の大手繊維業、福懋興業股份有限公司の子会社だそうです。「国内量販・小売業界最大手セブン&アイホールディングスの(株)セブン‐イレブン・ジャパンを主な取引先とし、レイン事業・生活雑貨を展開しています。」ということです。
ここで、裕源でもう少し調べてみると、確かにセブン&アイのイトーヨーカドーで売っているセブンプレミアムの傘は確かにこの会社で間違いないようでした。
この傘、セブンイレブンでも買うことができます。台中のよくわからないスーパーと思っていたものが、なんとそこらへんのセブンイレブンの傘を売っていた。この事実は私にとっては衝撃的なモノでした。
7.まとめ
ここまでの内容を整理すると、以下の通りです。
いなげやは、合弁方式で台湾に進出したが、2002年に撤退した
その際、合弁先の企業に株式を売却して、その合弁先が運営を続けている
合弁先は、実は台湾傘下の日本の企業
その日本企業は、セブン&アイで傘を売っている
というわけで、タイトルを正しく言い換えると以下の通りです。
「かつていなげやは台湾に進出した際の相手の合弁会社が運営を続けている裕毛屋は、実は日本企業の傘下であり、その日本企業は、セブン&アイで傘を売っている会社である」
というわけで、今も台中のいなげやは規模を小さくしつつも、高級スーパーとして運営が続いている、というお話でした。
ここから色々考察はできそうです。裕源はセブン&アイとは30年以上の取引があるそうです。そうなると、いなげやがイオンの資本を受け入れる2004年より前には、実質セブン&アイ向けの製造企業である裕源とは合弁を解消する必要性があったのかもしれない…みたいな邪推も働きそうなんですが、ちょっと今回は深追いはせずにこの辺にしておきます。
画像を大量に貼ると文字数が5500文字を過ぎたくらいでnoteがうまく動かなくなってくるようですね…というわけで今回はここら終わりとします。こんな長文見てくれた方は感謝です!!(今回は短めに6000文字くらいでした)
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