英語を自由に話せるようになるまでにしたこと

はじめに

国際協力の仕事で、日常的に仕事で英語を使っています。どうやって英語を話せるようになったの?と聞かれることがあります。話せるようになったと言っても、英語のレベル感って自分の中で色々感じてて、一番ブレークスルーだったのが、考えず(翻訳せず)に英語を話せるようになったときです。それまでに何をしたのかを紹介します。

英語とのふれあい

幼稚園で初めて英語にふれた記憶がある

幼稚園時代に英語を実はやった記憶があります。アルファベットを発音した気がします。でも、家は一般家庭で、私立で英才教育ということは全くなく、普通の公立でした。

小学校の塾でさらに英語にふれた

私の叔父さんが仕事でアメリカに行っており、当時流行っていたポケモンやパワパフガールズのグッズ(英語)をお土産でくれました。それで自然と英語に触れたのを覚えています。完全に理解はしていなかった思うけど、新しいおもちゃがアメリカにはあるんだなって、アメリカに憧れを感じた気がします。

兄が塾に通っていて、私も小学校6年生から近所の塾に通い始めました。私の時代は英語の義務教育は中学校からだったんですか、塾でアルファベットを習得しました。人より少し早くスタートラインが切れたのは、よかったことと思います。

最初のブレークスルー

ひたすら暗記

中学生でも塾に通っており、そこで運命的な出会いがありました。英語の先生です。彼女は、英語の発音がすごく上手で、多分このとき初めてネイティブに近い発音というものを聞いたんだと思います。彼女はスパルタでしたが、この人みたいになりたいと思い、彼女が作成した英語の文法の冊子(中学校で習う内容が全部記載されていた気がする)をもらったその日の夜にずっと読んで頭に叩き込みました。全部覚えたら、文法が得意になって、そこから英語が得意科目になりました。学校のテストも、基本は教科書を全部丸暗記。詰め込み教育はとか聞いたことありますが、まずインプットがなきゃなにも出てこないと思います。

海外への挑戦と挫折

大学受験失敗

高校は部活しかしておらず、勉強は全くしませんでした…そのくせ自分だけで勉強できるとか謎の自信があり、予備校に通わず、1人で受験勉強しましたが、結果失敗…苦笑
過去に戻れるとしたら、自分を過信しすぎるな!と言ってやりたいです‥
特に、難関校の英語の読解問題が難しすぎて、全く何が書かれているのかわからなかったことを今でも鮮明に覚えています…
なんとか合格した大学に行き、その頃に国際協力の道に進みたいと思い、それには開発学を勉強するために海外の大学院に行く必要がある(私の時代は海外のほうが開発学が発達していると言われていました。今もかな?)、そのためには英語力が必要と思い、大学2年生の春休みにイギリスに短期の語学留学に行きました。
ホームステイ先のお母さんとはあまりうまく話せなかった記憶があります。学校のコースメイトもアジア系が多かった気がします。あまり英語が話せるようにはならなかった気がするけど、初めて海外でいろんな国の子たちと毎日勉強したり、遊んだりして、すごく楽しかったのは覚えています。

学部留学

語学留学を経て、私はイギリスでやっていける!という謎の自信から、1年間大学を休学して、イギリスのサセックス大学に学部留学に行きました。休学したのは、通っていた日本の大学がイギリスの大学と提携しておらず、交換留学先にイギリスがなかったからです。
ここで、初めての挫折を覚えるとともに、自分をひたすら追い込むということをやった気がします。
挫折について、イギリスの授業は、講義とゼミて構成されます。講義では先生に質問したいけど、みんなの前では、何を話しているかわからないと思われたくなくて、質問できませんでした。ゼミではもっとひどくて、同級生はどんどん意見を言っているのに参加できないし、一言も話せないことがたくさんありました。すごく落ち込んで、自分の部屋に戻って、日本から持ってきた文法書を開いて勉強していましたが、1年間過ごしても、人前で堂々と話す、ネイティブに臆せず話す、考えないで自然と英語を英語のまま理解して話すということはできませんでした。

帰国、そして大学院に

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