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母に教わる痛みから



夕方、出先から母に電話(生存確認)をすると
必ず母がすがるように
「なるべく早く帰って来てな〜寂しいねん」
と嘆く。

日課のように行われる母の嘆きが
すごく不快で煩わしく鬱陶しい。
嫌な気持ちに覆い被せるように
私は心の中で母を責める。

無意識に沸き起こってくる責めの言葉。

「自分だって小さかった私を仕事だ何だと言って
家で夜遅くまで待たせていたくせに」
胃が痛くなるくらい空腹で母の帰りを待っていた記憶がよみがえる。

もちろん一日仕事をして女手1つで私たちを育ててくれている母にそんな事を一言だって言ったことは無い。
どうしようもない状況の中で頑張っている可哀想で大好きな母を誰が責められる?

……なんて……
実はそう思った記憶すら無い。

"記憶も無い"
これが痛みの回避。武装だ。

実際、私には歳の離れた姉や兄もいたので、空腹で惨めな日が毎日続いていた訳では無い。
また、祖母が暮らすいとこの家が近くにあったので、そんなに悲惨な状況ばかりではなかったはずだ。

だが、たまたまそんなふうに空腹と戦いながら惨めな思いをした日があった。

そしてそれは私にはとても耐え難い、嫌な経験となった。私は惨めで心細かった。

だから、無いことにした。

「私は惨めじゃない」

本当には今の母のように

早く帰ってきて〜
寂しい〜と泣いて
それを慰められたかった


おかえりと家で待っていて欲しかった
お腹がすいたよねと労って欲しかった


現在母は施設から帰って、私が出迎えることができる日は
「わぁー、居てくれて良かったぁ〜安心するわぁ」
と言って子供のように喜ぶ。

そんな母が、幼子の私が無いことにした痛みを掘り起こして思い出させてくれる。



みぃちゃん(由佐美加子)は、このような親との関係性で生まれた痛みの気付きを本人(この場合は母)に話すと良いと言う。

相手がどんな反応だとしても
自分自身のために聞いてもらうことでこの思いが浄化される(手放せる)と言う。

それはちょっと……どんな顔して言うの?
ものすごい抵抗感。
それでも言うのがオススメと言う。

私よ、言うのか?言わないのか?
(言えよ)

次回、その報告をここでできるのか?できないのか?
(しろよ)


ぅううう
……お楽しみに!!!


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