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恐るべし 卓越した回避の技




今日は武装につながる、痛みへの回避行動の技に触れたい。


悲しさ、寂しさ、怒り、虚しさなどの感情が沸き起こるような出来事があった時、この技を使って見事に回避しその感情を分離する。
武装時代、私はこの技の達人だった自負がある。


例えば人から嫌なことを言われたり嫌なことをされた時、怒りや悲しさが感情として沸き起こる。
そのいわゆるネガティブな感情が不快だと感じる。その不快を無くしたいと思う。

そして、技が発動する。
私のやり口はこれだ。

①その出来事を自分のことから離れて客観的に観察する。

②その相手の立場に立ってその出来事を見てみる。(一見思いやり?)
③その人の性格や置かれている立場から考えられ思考…

見ていくうちに
「きっとそうせざるを得なかったんだなぁ」と分かった気になったり
「そんなことをしてしまうその人はかわいそうな人だな」と同情(もしくは、相手を下に見る)の気持ちがでてくる


その頃には私の中の怒りや悲しさはいい感じに薄まって、ずいぶんと心は穏やかになり(正当化完了)
美味しいコーヒーをゆっくりと飲むくらいの余裕が生まれているのだ。


意識のベクトルがずっと相手(外側)


一見、冷静でスマートな大人の嗜み的な技だと思われるこの匠の技。
これが魂に嘘を付く、生存本能(痛みを回避するためのOS)だとは・・・

本当に残念なのは、私から沸き起こった「感情」は
不快なものとして無いことになってしまったということ。


自分の中から沸き起こる「感情」は、どんなものであろうとも魂からのメッセージ。

そのメッセージには私が本当に求めている「命の願い」が隠されている。

自分から沸き起こるものだから、それは私だけのもの。
そして、それに応えられるのも、私だけ。

そんな大切なメッセージに技を駆使して「無いもの」にしてきた。
害虫を駆除するかのように…


この人生は肉体と魂があってこそ。
魂をなきものにしてまで守ってきた肉体を大切にしつつ、これからの人生はこの肉体に宿る魂の声を聞いていく。
あるものがただある。いくらないことにしようとも、それは厳然と在る。

それを何とかしようとなんかせず、ただただ感じる。
深く潜っていくように。深く沈んでいくように。

そこに必ず「命の願い」が光ってる。

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