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【うつ×休学】休学を決意して届けを出すまでの話

こんにちは。きりしまです。
今回は、私が休学を決意し、届けを出すまでを、思い出しながら書いていこうと思います。


大学一年の時は、なんとか頑張って授業についていくことができ、どうにか進学が決まって、春休みをそれなりに満喫しました。
そして、ついに大学二年生。
二年では、心理学の専門の授業、そして実習が始まります。
いよいよ、心理士の卵としての活動が始まる、と思い、そのころ心理士を目指していたので、期待に胸を膨らませていました。

しかし、「うつ病」、そして、「母親との確執」を抱えた私は、授業が始まって絶望することになります。

といいますのも、私の母は広汎性発達障害と診断されていてかつ、実家にいる時から母親との折り合いが悪く、母の障害に対しても、私は納得できているとは言えない状態でした。
(私の家庭に関してはまた別の機会に詳しくお話します)

大学の授業を受けるたびに、


自分が病気であること

ケアをする側ではなく、自分はされる側であるということ

母の障害を受け入れてないということ

自分の辛かった経験


たくさんの事実に、打ちのめされることになりました。

何度も授業中、動悸がしたり、頭痛がひどくなったり、恐怖で頭が真っ白になり、途中で授業を抜けたりする日々が続き、GWが明けてから、大学に行けなくなりました。

とにかくベットの中で、漠然と

「もう休みたい」

と、それだけを思っていました。

そして大学の先生の元へ行き、今の状態を相談。
心理学専門の先生のため、病状や自分の状態について話しやすかったのは、幸運でした。
そして両親に連絡し、両親がアパートに来て相談。

私はしんどくて、つらくて、頭を下げました。
「休学させてください、しばらく休ませてください」と。

父親は、電話で連絡した際には
「休んでどうにかなるのか」
「ほんとによくなるのか」
と質問してきましたが、実際に私が頭を下げた際、私の顔を見たとき、何かを決意したように、うなずいて、認めてくれました。
休学を認めてくれたことには、感謝してもしきれません。

その日、私は泥のように眠りました。


それから、大学の学務で届けをもらい、五月中に提出して、六月から休学を認めてもらえるようになりました。
私の大学では、休学届には、親と担任のサインがある一枚の紙だけでよく、学費もかからないため、幸いだったとしか言いようがないです。


結論から言って、私はこのとき、休んだ選択は正しかったと思っています。
今は授業を受けてもそれほどダメージを受けませんし、自分と向き合う時間が取れて、いろいろな重荷がなくなったように思います。

休学中どう過ごしたかは、また書きますので、その機会に。

毎日のコーヒー代に。