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【うつと私】きりしまと家族について


こんにちは、きりしまです。
noteを初めてから、たくさんの方々に記事を読んでいただいて、大変恐縮しております。みなさん、いつもありがとうございます。
そこで、一番最初に軽い自己紹介をしたのですが、改めて、私、きりしまについてお話ししてみようと思います。
何を話そうかというと…私の家族についてです。


私の家族は、父、母、兄、私の四人家族。
父と母は、周りと比べるとかなり遅れて結婚し、出産しました。(現在二人は60歳ぐらい、私を産んだときはおそらく38歳ぐらい)
恋愛結婚なのかお見合いなのかは、聞いてもよくわかりませんでした。
家計的には経済的な困りもそんなになく、ぱっと見普通の家庭に見えていたのではないでしょうか。

以前少し記事にも書いたのですが、現在、私自身両親と不仲です。(不仲というか、お互いどう接すればいいかわかっていない)
私が大学進学で地元を離れて以来、連絡は金銭関係の問題や、バイトなどで親のサインが居る時のみメール。(最近は、4月に電話したのが最後)
帰省は、お盆やお正月にのみ、最長で2泊3日。親戚や祖父母に顔を出すために帰っているようなものです。
実際、家に居てご飯を食べても私は全く喋らず、兄と両親の話に相づちをうつ程度。
友人たちから「家族のグループLINEがある」と聞いて驚愕したレベルです。

自分では全く困っていないし、両親と連絡は取りたくないのでこれで満足しています。
でも、友人から「お母さんに写真送った」「お父さんからこんなLINEがくる」「兄弟と電話した」などなど、楽しそうな話を聞くと、心中穏やかではいられません。
でも…今の彼らとは、関係を修復することは難しいように思っています。


幼い頃から、「手がかからない子」だと言われて育っていました。
少し男勝りでわんぱくなところもあるのに、父親母親など大人には従順で、学校の成績の良い私。
小学校低学年の頃から通信簿に「謙虚な子」と書かれるほどでした。

でもなんとなく、親の顔色をうかがっているところがありました。
母親は家事や仕事はしていて一見問題は無いように思われていましたが、ヒステリックなところがあり、怒るとめちゃめちゃに叫んだり怒鳴ったりします。
そしてそれを、父も兄も止めずに受け流すのが、我が家の普通でした。
でも私は、母に怒られるのが怖くて辛くて、よくベットで泣いていました。
たった1人で。
父や兄にとっても、その光景が「普通」で、「諦め」だったのでしょう。
私にとって、家族は「ありのままの私を出せる場所」ではなかったのです。
家族のご機嫌をとり、それに失敗すれば自分を否定される。
いつも、休まることはありませんでした。

人格否定的な母の言葉の暴力が、今思うと私を蝕んでいたように思います。
「貴方が私たちに似てないのは橋の下で拾ったからだ」
「そんなに食べたらもっと太るよ」
「胸が膨らむの早いね」
「アンタそんなんだから駄目なんよ」
「ほんと迷惑な子やね」
「私は暴力振るってないからいいのよ」
「この家は私で保っている」
「お父さんの方が収入が少ない」

そして、辛いことを父に打ち明けても、こう言われるだけでした。
「母ちゃんのことは諦めるしかない」
「柳のように受け流すしかない」

父と母は、私から見ると、完全に関係が冷めていました。
2人はお互いに陰で悪口を言い合っている、仮面夫婦でした。
私は、2人の悪口や愚痴の、都合の良い聞き役だった。


だんだんと私は、家族に対して無気力になり、自分というものがわからなくなっていきました。
長い間ずっと、
「これが本当に【家族】なんだろうか」
「なんでこの人達は結婚したんだろう」
「どうしてこの人達から生まれてきてしまったんだろう」
「母は私のことが嫌いなんだ」

と思っていました。


その結果、私に刷り込まれたのは、果てしない自己嫌悪や希死念慮、罪悪感でした。
自分なんか生きていてもしかたない。
自分は人間として欠陥品なんだ、
と強く思うようになりました。
中学の頃から、慢性的な体調不良、リストカットや抜毛などの自傷行為、生理不順、原因不明の頭痛や腹痛、耳鳴り、不眠などを繰り返し。

体と心が耐えられなくなったのか、高3のときうつ病になりました。
それに合わせて、母親が「広汎性発達障害」であること。
父は、母と離婚する寸前まで追い込まれていたこと。
私は、もう心が限界を迎えていたと言うこと。
たくさんのことを、知ることになりました。


私自身、今はうつ病になってよかったと思っています。
自分や家族のこと、たくさんの事柄との向き合い方を、考えることができたから、今の自分に出会えた。

でも、父と母は違いました。
父は、典型的な「頑張ればなんとかなる」という根性論をかざすタイプで、精神疾患に全く理解がありませんでした。
今でこそだいぶ丸くはなりましたが、うつ病になった当時は、
「どうして学校に行けないのか」
「なんとか高校を卒業して」
「大学に行ってほしい」
とばかり繰り返していました。

母は、
「うつ病はなにかの二次障害! 私の発達障害が娘に遺伝してるの! 娘に発達検査をさせなさい!」
という一点張り。
医師に「きりしまさんに発達障害の傾向はありません」と説明されても納得せず、それしか言いません。
今は言わなくなりましたが、この話題はことあるごとに出してきます。
父親曰く、「自分が娘のうつ病の原因になりたくない」からだそうです。


そんなこんなで実家をでて、私は、彼らとほとんど関わっていません。
今思うのは、両親も両親なりには辛かっただろうが、私には関係ないということ。
そして、私は両親のことを何も知りません。
正確な年齢もよく知らないし、友達がいるのかも知らない。
2人の好きなものや考え方、どんなことに生きがいを感じているのか、人間についても、まったくわからないのです。
人間として、彼らときちんと関わっていなかったんだと思いました。

(ちなみに、兄とは仲は悪くないですがまったく深くないです。また、兄は中学校から高校卒業して実家を出るまで、放課後は塾に入り浸りで家にほとんどいませんでした)

すごく長くなりましたが、「こんな家もあるんだなぁ」とさらっと読んでもらえれば幸いです。
私自身、大学を卒業したら、本格的に両親から離れる予定です。
ではではこの辺で。


毎日のコーヒー代に。