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バガヴァッド・ヨーガー<レッスン⑦>すべてをデトックス~シャバーサナ~

「それでは胸の前で手を合わせて、頑張った自分に礼。きょうがステキな一日になりますように、ありがとうございました」

いつも通りのあいさつをしてきょうのヨガレッスンが終わった。

あとは生徒たちを送り出せばインストラクターとしての仕事は終わり・・・なのだが、本当の戦いはここから始まると言っても過言ではない。

ヨガが市民権を得た今、スタジオは乱立し、生徒の取り合いは激しさを増し、インストラクターも飽和状態に、人気のインストラクターにはヨガイベントへの出演など、仕事がどんどん舞い込むが、人気のないインストラクターは1回のレッスンで貰える金額も少なく、レッスンを何個も掛け持ちしなくてはいけなくなる。
私が受け持っているヨガの種類は、ホットヨガ。
サウナの中でヨガをやるようなもので、連続のレッスンは身体を壊す元として、インストラクター内でも、1日2回が限界とされている。

そこで人気インストラクターへの道の第1歩として重要なのが、レッスン終わりに話しかけてくる生徒たちの質問にしっかりと、丁寧に対応すること。
ここで会話が弾めば、毎回レッスン後に生徒たちが答えているアンケートの評価も上がり、リピーターも増え、1回のレッスンで貰える金額も上がり、人気ヨガインストラクターの道を歩めるというものなのだ。
※レッスン後に生徒のスマホにスタジオから送られてくるアンケートの評価でインストラクターを査定するシステムを採用しているヨガスタジオは結構ある。

ということで早速話しかけてきた。

「Yumiko先生、お疲れ様でした。この間までできなかったポーズがきょうは出来たんです。先生のお陰です、ありがとうございます。でもやっぱり呼吸がまだうまく出来なくて」

「きょうはポーズ1つ1つにしっかり体幹を使えていたから、ポーズができたんですよ。呼吸はレッスンでも言った通り、吸って伸びて、吐いて縮んでって感じて、なんとなく意識すればその内できますよ。呼吸っていつも無意識でできてるから、考えると逆に難しいですよね~」

「はい、分かりました、ありがとうございます!Yumiko先生のきょうのウェアすごい可愛い、今度私も買おうかな」

「ホント、ありがとうございます。実はきょう初めてこれ着てレッスンしたんです。そう言ってもらえると嬉しいです。また宜しくお願いします」

レッスンで着るウェアはとても重要で、生徒の9割は女性なので、正直油断もスキもない。レッスンのスタジオは結婚式の2次会並みに女性たちのファッションお披露目会の場所となっている。ファストファッションで買った服を着ようものなら、一瞬でダサダサインストラクターの汚名を着せられてしまうだろう。


「Yumiko先生きょうのレッスンお疲れ様でした。きょうのレッスンの前に先生が話してた紫陽花公園に行った話、私も去年行ったんです。あそこホント素敵で、インスタ映えしますよね。先生のインスタ、いいねさせてもらいました」

「ありがとうございます。わたしも生徒さんに教えてもらって母親と行ったんですよ。近くにオーガニックカフェがあって、そこのパスタが絶品で。ホント久しぶりに良い親孝行ができました」

「先生優しいですね。わたしなんて自分のことで精いっぱいで、全然親孝行できてないんですよ。今もヨガレッスンに通うことに夢中で。今度からワンランク上のレッスン受けようと思うんですけど、わたしのレベルでも受けて大丈夫ですかね?」

「もちろんアサコさんなら問題なく受けられると思いますよ。きょうも呼吸が乱れることなくしっかりレッスンに付いてきていたので、きょうのレッスンも、クラスを引っ張っているのはアサコさんでしたよ。ただ無理は禁物。チョット呼吸がしづらいなぁと思ったら体が無理してる合図です。チャイルドポーズでお休みするようにしてくださいね」

「はい、ありがとうございます。Yumiko先生の授業まだ2回目なのに、名前も覚えてくれて、レッスン中も見てくれていて嬉しいです。今度挑戦してみます」

「はい、また話聞かせてくださいね」

生徒の名前を覚える、これはマスト。それだけで急激に距離が近づき、生徒も喜んでくれる。それからレッスン中のボディタッチ。当然いまの時代、不用意なタッチは禁物だけど、生徒の体を良い方向に促すためのタッチは、随所に入れていく必要がある。やっぱりそこは人間。肌と肌の触れ合いで相手の心が通じる、ような気がしている。そしてインスタ、先生がどれだけ充実したプライベートを送っているかで、生徒の数は変わってくる。インスタのいいねを獲得するために紫陽花公園に行ったようなものなのだ、お母さんごめん。

「Yumiko先生」

きた・・・。
アサコさんと話している途中から、背中越しに存在は目視できていた。このスタジオ内でも悪名高いリカ。インストラクターがレッスンを受け持てる数は生徒のアンケート次第、つまりインストラクターの給料は生徒次第で変わる、ということを知ってか知らずか(おそらく知っている)、自分の立場が上なのを盾に、いろんな難題を吹っかけてくるモンスターヨギーニだ。
※ヨギーニ=ヨガをする女性

「リカさん、きょうもどうもありがとうございました」

「Yumiko先生」

なぜ名前を2度も呼ぶ、聞こえてるっちゅうねん。相変わらず吊り上がった目と、尖った口、キツイ性格がそのまま顔に出てしまっている。リカの嫌がらせで辞めた先生や生徒がいるという、ホントかウソか分からない噂までインストラクターの間では立ってしまっている。

「Yumiko先生。きょうのシャバーサナいつもより短くなかったですか?」
※シャバーサナ。レッスンの最後にやるポーズで、屍のポーズとも呼ばれている。レッスンで頑張った身体へのご褒美として、仰向けで全身の力を抜いておこなうリラックスポーズ。とっても心地良いポーズで、通常は10分程度おこなう。短すぎるとリラックス効果がないし、長すぎると寝てしまう。

痛いところを突かれてしまった。確かにきょうは、前半のポーズをのんびりやり過ぎてしまって、最後のシャバーサナで時間調整をしたのだった。

「流石リカさん、気付きましたか。実は前半の太陽礼拝でホールド時間を多めにしたせいで、時間配分が少しだけ狂っちゃって。最後のシャバーサナで調整したんです」

「Yumiko先生。最後のシャバーサナをわたし一番楽しみにしてるんだから、そういうことされては困ります。ようやく待ちに待ったシャバーサナがきたと思ったら、一瞬で終わりで、身体にもよくないんじゃないですか?」

「いえ、身体的には十分な休息になる時間は取ったんですよ。わたしもシャバーサナが好きなので、いつもシャバーサナの時間を長めに取っているだけなんです。リカさんもシャバーサナ好きなんですね」

「わたしがシャバーサナを好きなのはどうでもいんです。ただほかの生徒さんの為にもきっちりシャバーサナの時間を設けてくれないと。それとほかの生徒さんの…、マットの広げ方なんだけど……、次からは……、」


途中からリカの声がだんだん聞こえなくなっていった。
目の前に口をパクパクさせている女の人がいる。よっぽど言いたいことがあったのか身振り手振りを交えて必死に訴えている。なにを言っているのか分からないからか、だんだん面白くなってきた。今、私の顔は、歯が見えない程度に口元が緩み、目尻は下がって、頬は温かみを帯びているのだろう。

こんなに自分の表情の一挙手一投足を感じ取ることが今まであったであろうか。目の前の女の人は相変わらず大きなジェスチャーでまくし立てている。だんだん顔全体が赤みがかってきているのが分かる。そうだ、ここはサウナ状態なのだ。そろそろここから出なければ。

わたしはスッと会話を遮り、「いきましょう!」

わたしはリカの手を取り、サウナ状態のスタジオから外に出た。健康のために始めたヨガ、そこからのめり込み、資格を取り、今ではインストラクターとして生活をしている。ヨガは幸福になる為の手段だと、資格を取る時に先生に教わった。
わたしがOLをしていた頃はヨガという手段を使って、幸福を手にしていた。だからのめり込めた。
しかし、インストラクターになると、ヨガが手段ではなく目的になった。つまりヨガをしなければいけなくなってしまった。手段が目的になると、それでは幸福にはなれなくなる。ヨガの先に目的を見つけないといけない。

いつからか気付いていた。ヨガが手段ではなく目的になっていることに。でも必死に閉じ込めていた。徐々にその感情は熱を帯び、閉じ込めていられなくなってしまった。熱くなり熱くなり熱くなり、ついに閉じ込めていた部屋から飛び出した。

わたしはどこへ行くのだろう。1つ分かっていることはわたしの顔は今、歯が見えない程度に口元が緩み、目尻は下がって、頬は温かみを帯びている。

とても幸福な顔をしているに違いない。


ひとり~の小さな手~♬なにもできないけど~♬それでもみんなの手と手を合わせれば♬何かできる♪何かできる♪