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ウソツキ先生

もう何年も昔の、私が中学2年生だった頃の話。

コンビニに並んでいるファッション雑誌のスナップ写真コーナーに知り合いの知り合いが載ったらその話で持ちきりになるような普通の小さな街。放課後の帰り道の話題は専らクラスの誰々が跳び箱を何段跳んだらしいとか、誰々は50m何秒らしいなどの話が大半だった普通の中学校、そして教室の後ろの壁には「青空」と書かれた習字が貼られている普通のクラスで日々を送っていた。

ただ1つ、普通じゃないのは、担任の先生がウソツキ先生と呼ばれていて、時々間違えを教えること。穏やかな表情の50歳ぐらいの男の先生で、もしかしたらもっと若かったかもしれない。子どもから見たらすごい年上に見える、優しくて温かい雰囲気の先生だった。

「ウソツキ先生」の間違えがどんな間違えかというと、こんな具合…。


「1600年、徳川家康と石田三成が戦った関ヶ原の戦いで勝利したのは、石田三成です」

「空気中の成分で一番少ないのは窒素です」

「プールに入る前は、体を動かさなくていいです」

などなどなど。

クラスの生徒は先生の言うことは時々間違えるって知っているから、ワクワク楽しみながらも、すごく集中して授業を聴いている、そのせいかクラスの成績は学年で一番良かった。

不思議なことに、正しいことはすぐ忘れるのに、間違えは耳障りが悪いからか、なぜか耳にぶつかり、脳に残る。

先生の言ったことは“間違い”って覚えていれば毎日が上手くいく、だから先生は生徒たちから人気があった。

ただし保護者や教師たちからは不評。先生の良いところを大人たちに進言しても、逆に先生が睨まれてしまうという事態に。挙句、先生は僕らの学校からいなくなることになった。

そして始まった最後の授業。


「それでは授業を始めます。まずは、教科書を机の中に閉まってください。」

最後の授業、という雰囲気などおくびにも出さず、先生はいつも通りの表情で授業を始めた。
生徒の中にはドキマギしていたり、普通を装おうとして、逆にロボットのようにカクカクした動きになってしまっている生徒もいた。

「きょうは道徳の授業をやります」

「まずは勉強について。みんな勉強ってそんなに好きじゃないですよね」

ゆっくり淡々と、生徒1人1人の顔を見回しながら、ウソツキ先生がいつも通り、敬語で話し始める。

「無理してやる必要はありません。勉強なんかしなくてもなんとかなります。夢を持てってよく聞きますが、なくたって大丈夫。友達だっていなくても大丈夫です」

ウソツキ先生の言うことをみんな聞いている。校庭のどこかでハトが鳴いた。

「日本という国は、必ず最後はなんとかしてくれる国なんです。平和で、み~んな良い人ばっかりです」

ウソツキ先生の声がいつもより大きく弾んでいるような気がする。ただただ聞く側が言葉を1つも聞き漏らすまいと、必死に耳を傾けているせいかもしれない。

「政治家の言うこともしっかり聞きましょう。国民の為に頑張ってくれています。地元の為に頑張ってくれています。みんな信じてついていけばなんとかしてくれます」

ウソツキ先生がいつもの親しみやすい表情のまま授業を続けている。

「まだ君たちは若いです。時間はたっぷりある、ゆっくり、将来自分がなにをしたいのか考えてみてください」

「困った時、大人に相談してみてください。きっと助けてくれるでしょう」

「先生は?」
静かに話を聞いていた普段は大人しい女子生徒が急に声を発した。

「先生はダメだよ。もう君たちの先生ではなくなるのだから」

穏やかな表情になったウソツキ先生が話を続ける。

「これから先、選択に迷った時、楽なほうに進むといいでしょう。君たちには苦労はしてほしくないですからね。失敗しない道を選び、順風満帆な人生を歩んでください」

「そんな時、先生は隣にはいません。君たちならそれでも大丈夫です」

「みなさんとの学校生活で一番覚えているのは、初めて会った日のことです。どこか緊張したような顔で椅子に座らせられていたみなさんの顔、これから先も忘れることはないでしょう。最初の授業でやったこと、みなさんは覚えていますか?」

「覚えてる~」
「はい、覚えてます」
「自分の嫌なところを発表した」
生徒たちから口々に声が上がった。

「そうです、自分の嫌なところをみなさんに発表してもらいました。いろんな嫌なところがみんなありましたね。<怒りっぽいところ~><友達とすぐに仲良くできないところ~><部屋の片づけをしないところ~>なんて人もいました。みんなに嫌なところがあるということが分かりましたよね」

「良いところも発表したよ」
「そうだよ」
「そっちのほうが盛り上がったじゃん」
生徒たちは、最後になってしまう先生と少しでも話をしたくて、時折声を発している。

「そうですね。みんなの良いところ、覚えていますよ。<毎日洗い物をするところ~><朝1人で起きるところ~><宿題を忘れたことがないところ~><歯磨きをていねいにするところ~><おばあちゃんの肩叩きを毎日するところ~>みんなにいろんな良いところがありましたね」

「人間には、良いところと嫌なところがあります。嫌なところ無くして、良いところだけにできたらいいですね。」

先生は、教室全体を見まして、1回ゆっくり瞬きをして声を発した。
「友達の嫌なところを愛せる人になってください。友達の良いところを褒められる人になってください」

「先生はウソツキ先生…、なんて呼ばれ方をしています。いつからかなぁ、そう呼ばれるようになったのは…。ずいぶん前のような気もするし、最近のような気もする。先生はウソツキかもしれません。でも1つだけ、生徒のことを1番に考える、これだけは自分にウソをつくことなくやってきました。君たちも、自分にだけは嘘をついてはいけません。一度自分に嘘をつくと、また嘘をつかないといけなくなってしまうからです。」

最後にウソツキ先生はこう言った。
「また会いましょう」


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