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【太平洋戦争】太宰治「十二月八日」はなぜかユーモラスでしみじみする佳品!

今から80年前の1941年の
明日、12月8日は、
日本がアメリカ・イギリスに
ひいては、世界全体に
戦争攻撃を始めた日です。

今からは想像がつかない。
どんな見込みや戦略があろうと、
宣戦布告なしに、
いきなり他国の港や民家や軍人宅を
空爆をして良いはずがありません。
まあ、アメリカは今しょっちゅう
中東でやっていますが。

日本が、80年前の日本が
そんなことをするとは、
同じ国がしたとは、
ちょっと、いや、ぜんぜん
イメージが湧きません。
信じがたいと言うべきか。

さて。
太宰治に「十二月八日」という
短編小説があります。
すごく清々しくしみじみとする
佳品です。

紙の文庫では、全14ページで、
新潮文庫『ろまん燈籠』に
収録されています。

太宰治は、この12月8日が
大きな意味を持つ日になると
感じていたんでしょう。
確信、と言ってもいいかも
しれません。

なぜなら、
太宰はこの戦いは日本が負けると
感じていたし、
それだけではなく、
軍部に検閲を受けても
発禁処分にされないよう、
言葉たくみ、設定たくみに
真珠湾の日の日本人日常を書いて、
世に出しているから、です。

大事な日になると思わないなら、
日付をタイトルにした小説を
書いたりしなかったでしょう。

なお、太宰のこの小説は
同じ月の下旬には雑誌に載っています。
戦後に、軍部の検閲が無くなって
書いたんじゃないところが凄い。

冒頭はこうです。
「きょうの日記は、特別に、
ていねいに書いて置きましょう。
昭和十六年の十二月八日には
日本のまずしい家庭の主婦は、
どんな一日を送ったか、
ちょっと書いて置きましょう。」

取り立てて一般的な女性の
日記という体裁です。

作品ではこの後、主人公は
夫や、近所や、ラジオが
妙に深刻ぶったり、
勝利する未来の話をするのを
家事仕事のあいまに耳にします。

それが正直、主人公には
ピンときません。
男たちが勝利を確信して
勇んでいるけど、
本当に大丈夫なのか?

これは、でも、太宰の巧みさ。
戦争に賛成ではなく、
かといって、
戦争批判に走るでもなく、
「一般的な貧しい家庭の主婦」
という設定が活きています。

まあ、ある意味、
主婦は国の外交や戦争は
よくわからない、
という設定自体、
今ならフェミニストが
怒りだしそうですが。

でも、太宰はこうも
言っているような気がします。
一般的な家庭の主婦の感性こそ、
まっとうであり、
まことの心であるから、と。

気張って、深刻ぶったり
知ったかぶって、
国家を語る男たちは実は何も
的を射てはおらず、
本当のことには至ってない、と。

太宰治が持っていた
知識人批判でもあるでしょう。

それにしても、
心が鎮まる温かい小説です。

太宰の、戦争につきまとう
犠牲者への、追悼の気持ちが
底に込められていることは
間違いありません。

1941年12月8日、
日本が、世界を相手に戦争を
始めてしまった日。
たかだか80年前の本当にあった話。

太宰の14ページの短編から
あれこれ思うのも、悪くないですね。

犠牲になったアメリカ人、
また、犠牲になった日本兵に、
追悼の気持ちを込めて、合掌。

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