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【回り道】エリートより、回り道が勝つ?人生は負けん気が大事

中心よりも周辺や端っこが好き。   
海苔巻きや卵焼き、
エレベーターや集合写真は、 
端っこに限る、と書いたのは、
昭和のエッセイスト向田邦子さん。

今から見たら、向田さんは
自らの才能で自立した憧れの女性。

テレビラジオ畑から作家に転じた
スター作家で、
端っこ、回り道、周縁ではないように
思えるが、エリートでもない。

当時の男性社会で、
大卒後、小さな出版社から
歩み始めた向田さんは周辺からの
視野をしっかり養った人だろう。
寵児ではない。

周辺から地道に努力を重ねる人々は
読む側もつい贔屓したくなります。
 
「敗者のまなざし?」という視野で
時代の寵児には見えない真実を 
抉りとる観察力があるからです。

学習院、東大法学科、大蔵省。
エリート街道を歩いた三島由紀夫には
凄すぎて肩入れできない(笑)。

意外に面白いのは、
早くから「中心」にいた寵児より
周辺にいた回り道人間の
「敗者のまなざし」。
藤沢周平、
宮沢賢治、
水木しげる…。

『ペスト』で話題な
フランスの作家カミュは、
フランス植民地アルジェリア生まれ。
新聞記者を経て創作に。
非統治国出身はそれだけで
ハンディだった。

その頃、パリでは、
フランス最高峰の大学を出た
サルトルが思想世界の寵児。
ある時代のヨーロッパ人文哲学は
サルトルが仕切っていました。

カミュとサルトルは後に
大論争し、カミュが惨敗する…。
(いや、当時そう見えただけ)。

今から後世の目で、
カミュとサルトルの考えていた事を
比べると、カミュの方が深く普遍的。
サルトルは流行に乗ったお坊ちゃんの
哲学者、作家だった。

回り道人間の存在から始めたカミュは
やっぱり視野も広く、
思考形態が粘り強い。  

その、名門大学でサルトルや
ボーボワールと学びつつも、
主流の実存哲学になじめなかった
一人の青年がいました。

彼はなじめないパリのサロンや
主流の実存哲学をきり捨て、
アマゾンの奥地に向かい、
文化人類学に打ち込む。
彼、レヴィストロースは
帰国後、その研究成果から
『構造主義』をもたらし、
世界を激変させました。
すべては相対的な存在である、
と説いたのです。

ヨーロッパは特別に優秀な
文化では決してない、と。 
ただのワンオブデムだ、と。

ヨーロッパの近代思想の
鼻っ柱を打ち崩す『構造主義』は、
サルトルやカミュの論争を尻目に、
アマゾンで孤独な中、
真理を探しもがいた文化人類学者
レヴィ・ストロースにしか
できなかったでしょう。

構造主義が訴えた相対主義は、
回り道人間の意地と根性と
負けん気がこもっています。    

おかげで、それ以後、
あらゆる思想も哲学も文学も幸福論も、
相対的な枠組みに入り、
絶対的価値は脇に追いやられた。

「みんな違って、みんないい」
「それはあくまで一意見だな」

今の私たちの生活の90%は、
構造主義、相対主義で出来ている。

新しい絶対的な価値観はもう 
生まれようがない。
(いや、最近はマルクス・ガブリエルが
新しい実存哲学を唱えていますが、
これからどうなるのでしょうね?)

『構造主義』が世界に広まってから
「絶対的に最高な価値がある」と
どんなに主張しても、
「それもひとつの考え方ですね」
で総括される。

マルクス革命主義か否かで
信州の山奥でおっかないリンチが
ある時代よりは断然、素晴らしい。

アマゾンで歯を食いしばった 
周辺的な位置にいた文化人類学者の
思想が今も世界を「支配」してますね。

相対主義は、レヴィストロースにより
もたらされたんです。
つい、最近ですね。

それまでは、いつも、
絶対的価値観のマウンティングが
西欧思想の歴史でした。

それにしても、
周辺の人の思考の深さや粘り強さには
かなわないですね。
要は「負けん気」か?!

きっと今頃、誰かまた一人、 
アフリカ?や宇宙?のどこかで
歯を食いしばっている青年青女が
次世代を担う発見に
取り組んでるに違いないですね。

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