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【中島敦】中島敦は、中国より南太平洋ものが充実してる?

中島敦というと、
教科書で読んだ『山月記』の  
インパクトが圧倒的。

中国の古典に詳しい、
漢文みたいな文章を書く作家だと
思われてますよね。
損してるような、、、、
どうですか、中島さん(笑)

中島敦さんはきっと苦笑かな…?

全集を読むと、意外な作品がいっぱい。
彼の人間や生を見つめる眼差しは
非常に広くて立体的です。
(全集と言ってもちくま文庫で全3巻)

中国古典に材をとった作品は、
全集中、せいぜい3~4割。
同じ位多いのは、中島敦が、
日本語教育研究者として赴任した
パラオなど南太平洋ものです。

1930年代当時、
南太平洋の一部は日本領土でした。
中島敦の南洋ものは、
面白い短編が沢山あります。

また『宝島』『ジキルとハイド』の
作者スティーブンソンの晩年を描いた
『光と風と夢』も代表作です。
イギリスで病を得た作家の
スティーブンソンは、保養のため、
南太平洋まで航海しながら、
命の短さを感じつつも、
執筆にも精を出しました。
まごうことなき天才作家でした。

これは第15回芥川賞にノミネートされ、
話題を呼びました。

それから、今なら万城目学さんが
書いているような、
ユーモラスな西遊記のパロディも
書いています。

かと思えば、古代ペルシアものもある。
「文字禍」など名作も多く、
題材は古今東西に渡っています。

一体、中島敦はどんな視野で、
どんな世界を見ていたのかな?
日本的な、日本文学的な世界は
狭苦しかったでしょうね。

時代は、1930年代。
日本の軍部が満州や南太平洋を
支配していく不幸な時代…。

当時、文学の世界では、 
川端康成や永井荷風や梶井基次郎が、
イケてる男とは言えない、
冴えない男たちの、
屈折した内面を描くのが定番。

中島敦の世界的な体質とは
真逆なメンタルが支配的でした。

中島敦は、旧来の日本文学で
定番な自分の内面描写には
あまり興味がなかった気がします。

中島さんはちょっと規格外な
立体構造的な世界を持ってましたね。

ただ、もともと病弱で、
33才の時に、夢半ば、
1942年に病没します。
敗戦の3年前。あまりに早過ぎました。

世界的視野の文学者としては、
あまりに早く生まれ、
あまりに早く亡くなったでしょう。
中島敦が愛読した  
カフカを思い出させます。

不運と呼ぶだけではあまりに惜しい、
「不運の塊」でしたね、中島敦は。
あと3年生き延びていたら、
太平洋戦争も終わり、
自由にものを書いていい
新しい時代がすぐそこに来てたのに。

人間の心と頭は広くて大きい。
とてもとても大きくて広い。
中島敦のことを思うと、
つくづくそう思わせてくれるなあ。

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