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ジェンダーギャップ指数をどう受け止めるか

毎年この時期、メディアの恒例行事ともなっているジェンダーギャップ指数(gender gap index)ですが、いつものことながら、違和感をもつ日本人も多いのではないでしょうか。

違和感の理由にも色々ありそうです。いわゆる経済的豊かさの指標(一人あたりGDPなど)とはかけ離れた順位になる上に、多くのアフリカ諸国よりも日本が下にランク付けされています。素朴に「何かがおかしい」と思わせてしまうところがジェンダーギャップ指数にはあることは否定できません*。

*本川先生の疑問、畠山先生の指摘も参照。

おそらく適正な受け止め方は、「まだこんな指数報道しているのか」といった全否定でもなく、また順位だけを見て「日本はやっぱりダメだな」と判断するのでもなく、別のところにあるのだと思います。

しばしばこの指標について指摘されているように、日本の順位を下げているのは、使われている4つの指標(健康、教育、経済、政治)のうち経済と政治であり、健康と教育については常にトップクラスです。具体的には、2023年だと健康は59位(ただしスコアは0.973で、トップの0.980とほぼ差がない)、教育も47位(スコアは0.997と、トップの1.000とほぼ同じ)。対して経済だと123位(0.561)、政治は138位(0.057)になっており、特に政治が特筆して低いスコアになっています。

4つの指標の作成では、以下のような項目が用いられます。

  • 健康と生存:健康寿命、出生性比

  • 教育達成:識字率、初等就学率、中等就学率、高等就学率

  • 経済的参加と機会:労働力(参加)率、同類職における賃金、平均所得、立法職・政府高官・管理職比率、専門・技術職比率

  • 政治的エンパワーメント:国会の議席、大臣数、最近50年の首長の在任期間

日本でも、政治分野での女性の進出を前回の統一地方選で実感された方も多いかもしれませんが、国会議員に占める女性の割合は全体的に低いままです。これは、「地盤」「組織票」といった地元型の政治力学が男性優位に働いていることが影響していることもあるでしょうが、前田健太郎先生や安藤優子さんの下記の書籍などで指摘されているように、政治(特に保守政党)の世界における家父長制的・男性優位の価値観や認識の根深さも無視できないでしょう。

また、日本では女性総理がいまだに存在しておらず、このことも不利に働いています。韓国では2013年2月から4年間あまり、朴槿恵さんが大統領に就任していたこともあって、政治の数値は0.169と、日本の3倍にもなっています。

総じて、政治指標の算出においては何かしらすごくおかしなことがなされているとまでは言えないでしょうが、日本において不利に働いていることもありそうです。

他方で経済指標についてはかなり問題含みです。

経済指標だと、たしかに日本では管理職、リーダー層に占める女性比率がかなり低いことが影響しています。ただ、日本よりも上位の国でも、そもそも雇用経済が発達しておらず、自営・農業中心の国が多い(アフリカ諸国が多い)ことなどは考慮しなければなりません。自営セクター、「家」経済が健在の場合、かつての日本でもそうでしたが、女性の労働力参加率は大きくなります。しかししばしばこれらのセクターでは女性の立場が脆弱であることも多いのです。このことはジェンダーギャップ指数には反映されません。

たとえばアフリカのガーナですが、全体順位は100位で日本よりも上、経済指標でも80位(0.682)とこちらも日本より上です。ただ、ガーナには地域的に強い家父長制的慣習が残っています。経済学者リンダ・スコットの下記の本から一部引用します。

女の子が初潮を迎えると、地域社会の男性たちから「熟れた」と考えられ、結婚もできるし性の対象にもなるのだ、と私たちは聞かされた。父親は、夫になる男性が娘をもらうかわりに父親に支払う多額の「花嫁代償」を得るために、娘をさっさと結婚させたがる。...女の子を結婚させれば親にとっては教育費と扶養の負担もなくなる。だから娘を若いうちに嫁がせるのは非常に得だと思われていた。...一度ガーナの教師に、娘に結婚相手の選択権はないのかとたずねてみた。「ないです!」彼は吐き捨てるように行った。「女性のみで選ぶなどありえません!」

リンダ・スコット前掲書、訳書43頁より引用

こういった強力な家父長制はかつては(現在の経済先進国を含む)多くの地域でみられ、現在では弱体化したものの、経済が家や地域単位で構成されている地域では残存していることもあります。そもそも女性が所有権や経済的決定権において著しく不利である社会は、アフリカ、中東、南アジアでは珍しくありません。

ここで指摘しておきたいのは、ジェンダーギャップ指数はこういった女性の置かれた極端に不利な状況をすくい上げる直接の測定項目を持っていないことです。

このような構成概念上の問題に加え、算出方法にも指摘すべき問題はあります。

ジェンダーギャップ指数の計算方法は若干ややこしいのですが、4つのサブ指標の計算式の中に、「国間のばらつきの小さい項目のウェイトを大きくする」という手続きが組み込まれています。「最近50年の首長の在任期間」は国間のばらつきがあまり大きくないので、高いウェイトを与えられてきました。異質な数値を比較可能な形にするために、こういった重み付けをすることの根拠も理解できなくもないのですが、「差がつきにくいものの差を強調する」ことの意味は、本来ならば個々の測定概念に照らして判断すべきもので、一律に適用すべきルールではないでしょう。

さらに、こうして算出された4つの数値は、ウェイトなしに非加重平均されます。その際、全体的に差が付きやすいのは圧倒的に経済と政治です。教育は、128位までが1から0.9に入っており、差がつきにくい指標です。健康はもっと差がなく、最下位(アゼルバイジャン)でも0.936です。

これに対して政治と経済のばらつきは非常に大きく、要するにジェンダーギャップ指数とは、政治と経済のジェンダーギャップの指標だともいえます。さらにこの2つの指標は、むしろ経済先進国向けにチューニングされた指標であり、すでにガーナについて指摘した通り、女性の置かれた地位やあからさまな差別の実態を的確に反映できていません。

OECDの「SIGI」はどうか

では、もっとよい指標はないのでしょうか?

開発レベルを考慮に入れた指標としては、HDI(人間開発指標)をもとにジェンダー補正を施したGDI(ジェンダー開発指標)など、国連開発計画が運営している指標があります(2021-22年では、日本は28位のフランスより上位の19位)。ただ、これは開発レベル(余命、識字率、生活水準などで測定)に大きく影響されるので、ジェンダー差、あるいは差別の指標としては使いにくいものです。

OECDは2009年から、Social Institutions & Gender Index (SIGI) という指標を発表しています。これは、より直接的な女性差別を179カ国を対象に測定・指標化した数値です。すでに2023年版の数値も発表されています。

具体的には、「家族における差別」「身体的尊厳の制限」「生産・金融資源へのアクセスの制限」「市民的自由の制限」に関連した測定により構成されています。しばしば話題になるFGM(female genital mutilation、女性器切除)は上記の身体的尊厳の項目に組み込まれています。より直接に女性差別が測定されており、これなら日本の数値はだいぶマシになるのではないでしょうか?

ただ、実際に数値を見ると、こちらの指標でも日本の数値はかなり低めです。SIGIでは差別を「0=差別なし、100=絶対的差別」というスケールで数値化しますが、全体で日本の数値は32.9であり、ジェンダーギャップ指数ほではないにしろ、対象国全体(29.1)、OECD平均(15.3)よりも高い数値になってしまっています。

しかし残念なことに、この指標の算定には疑問符が付きます。たとえば「生産・金融資源へのアクセスの制限」のサブ項目に「職場の権利の法(Law on workplace rights)」という指標があって、日本の評定は「100」になっています。100というのは「完全な差別」であって、具体的には「Women do not have the same rights as men to enter all professions, to work the same night hours as men, or to work or register a business without the permission of their husband or legal guardian」という評価です。1960年代までのフランスじゃあるまいし、誰がこの評価をしたのかわかりませんが、少なくとも日本の法律の評価としてこれはありえないでしょう。

他にもおかしな評価があります。たとえば日本は離婚について、法律的に「Women do not have the same rights as men to initiate or file for a divorce, or to finalise a divorce or an annulment, or to retain child custody following a divorce」と評価されています。実際上の不利はともかく、法律の評価としてこれが適正かどうかはかなり疑問です。

他の項目については、詳しくはウェブサイトを見てみてください(各項目の「i」と書かれたボタンに説明があります)。

下記の書籍でも詳しく書かせていただきましたが、数値は適度に疑ってかかることが必要です。こういった指標の算出方法には「完璧」なものは存在しませんし、こういった指標に全く意味がないわけではありません(部分的にはある)。受け取る側も慎重に判断して、「ここは参考になる、ここはダメ」のように、数値が独り歩きしないように理性的な判断をして受け止める必要があるでしょう。

...とは言っても、「指標(index)」というのはそもそも、複雑な事象をシンプルな数値として解釈するためのものです。それだけに、もうちょっと正確さやバランスに配慮しないと、そのうち見向きもされなくなったら意味がないように思います。ジェンダーギャップ指数については受け止める側のリテラシーである程度対応可能ですが、SIGIには、まだまだ改善の余地がありそうです。もちろん、より直接に差別の実態を数値化する試みであるという点で有意義だと思いますので、今後に期待したいところです。

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