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映像化されやすい小説を作るべきなのか

IP化の時代だと言われます。

IPとは「知的財産」を意味するIntellectual Propertyの略で、自社のIPを様々な形で広げていくことがIPビジネスです。
映像化・コミカライズ化・舞台化などのメディアミックスや、グッズ化することがIPビジネスにあたります。

コミック業界はアニメをうまく使ったIP展開が主流となっていますが、小説においても同様です。
ラノベやライト文芸ならばコミカライズにアニメ化、文芸系ならばドラマや映画化。最終的に映像になると、やっぱり強いですよね。
IP化して広げることで収益もぐんぐん増えるので(リスクもありますが)、IPビジネスが活性化しています。

コミックよりも単体で売り伸ばすことが難しい小説こそ、いまや映像化などの二次展開が必須になってきており、いろんな人が映像関係者とパイプを太くしようと動いています。
逆に言うと、このつながりを作って総合プロデュースしていく力が小説の編集者に求められていく時代なのでしょう。

ならば、映像化されやすい小説を作るべきなのか?
その問題を、ここしばらくずっと考えています。

IP化を「映像化」に絞って考えた時に、映像にしやすい小説というものは存在します。いまは映像関係者も原作を捜している時代なので、売れ行きだけでなく、映像化しやすい造りであるだけで、映像化の可能性はずいぶん上がります。やっぱりあるんですよ、映像化しやすい、しにくいは。
だから、映像化させることをゴールとするのであれば、編集者としてはそれを見据えたディレクションをするのが正解です。
(※論点が広がるので、ここでは作家さんの望む形で映像化がなされると仮定します)

それはある意味でとても正しく、これからの編集者として求められるスキルだとも思います。むしろそこまで見据えてディレクションしてくれる編集はきっとすごく有能でしょう。

でも、「それでいいのか?」という想いが、ずっと胸に巣食っています。

僕は作家さんと「小説」を作りたいのであって、「原作」を作りたいと思ったことは一度たりともないからです。

商業出版の編集者としては本を大ヒットさせることが正解であり、その近道である映像化を見据えたディレクションをすることは正解であるはずです。

・その設定だと、セットを組むのが難しいので変えましょう、とか
・恋愛要素を絡めておいたほうがドラマ的にいいでしょう、とか
・ドラマの話数的に足りないから、もう少し細かく章を割りましょう、とか

それは正解であるはずなのに、どこか違和感を抱いてしまいます。
なにか、とても大切なものを見落としているような、そんな違和感が。

僕は映像を作るために作家さんと本を作っているのでしょうか? 
小説を作るために本を作っているのでしょうか?

特に答えを求めたいわけではなく、両方が正しいのだと思います。IP化・映像化を見据えた本づくりをすることも正しいし、小説としての魅力を突き詰めて本づくりをすることも正しい。
作家さんによっても求めるものや望むものは異なるので、とにかく映像化を目指したい作家さんもいれば、そうでない人もいるでしょう。
作家さんの要望や目指すところを汲み取って、ディレクションを使い分ければいいだけですし、そもそも小説として最高の作品を作り、圧倒的な存在感をもって映像化を目指せばいいだけと言われればそれまでです。

たったそれだけのことだと分かっていても、企画書やプロットと向き合った時に、いつも迷いが生じます。
僕が編集者として手掛けるのが「文芸」という中間小説であることも一因なのでしょう。ラノベのようにエンタメに特化していないし、純文学ほど文学に寄っているでもない。

作家さんと小説が一番幸せになるために、編集者がどのような言葉を差し出すのがベストなのか。
そのディレクション一つで、作品の在り方は変わるし、それが大きな分岐点になるかもしれません。しかしその分岐が商業的な正解であっても、小説的な正解とも限らないのです。難しい。

商業と、小説と、編集者としての責任と。
いろんなものの狭間でずっと悩み、迷っています。

(※特に答えがある文ではなく、あくまで雑記です。異論をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、未熟な悩みの自己発露の場としてご理解ください)

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