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ガンで全てを失った人に出会って感じたこと

年度末に向けて仕事が駆け込み落ち着かない中、外に出ると時折感じる春の暖かさには、ふと自分が今を生きているんだなと、我に戻る時がある。

2月の上旬、私は1人のガン患者と友人の営むカフェで出会った。
2020年から3年ほど闘病生活を送っていたそうだ。

やる気が出ない、食欲もない、身体のだるさをきっかけに、病院に行ったところ、ガンと診断されたという。

当時は、「絶望」しかなかったそうだ。
新型コロナウイルスの時期も重なり、病院の急な対応に振り回され、闘病生活も厳しかったという。
毎日がうつ状態、体も弱っていく、肌もシミだらけ、顔はコケていく。。

それでも治療の甲斐もあり、2023年に退院できたそうだ。
しかし、治療のために何千万とお金を使ってしまったこと、死に直面し、当時経営していた会社や持っていた資産を他人に全て譲ってしまったという。
退院しても、お金・健康を失い。人との関係性も大きく変わったそうだ。

当時の退院の時の写真を見せてもらったが、顔には闘病の跡が痛々しく刻まれていた。

その後も何度か、このガン患者の方と同じカフェで話をした。
お互い経済の話が好きで、話が弾んだのもあるが、私がその方のことを、もう少し知りたいと思ったからだ。

それは直感だった。その方の顔を見た時に、何か話されていない何かがあるなと感じたから。目つきの鋭さ、凛とした顔立ちから、別のスゴいことをやっていた方なんじゃないかと思ったからだ。

そのおかげで、経営していた会社のこととか、全国を回っていた話など、驚くような話をたくさん聞けた。

でも、話を聞けば聞くほど、その人が失ったことの重みで胸を痛めた。

私の話に戻す。
私がお金、健康、友人、全てを失った時のことなど想像できない。
頭では、生きているだけでも感謝でとポジティブに考えたいと思うが、実際にはネガティブで、死んだ方がマシだと頭の中で何ども反芻してしまうんだと思う。

そう思うと、今の自分が健康で幸せで感謝しなければとは思う。
ただ、感謝と同時に大事にしたいある思いが宿った。

もし健康でチャンスのある今を生きているなら、その恵まれた機会を活かす必要があるんだと思う。

それは、スポーツ選手のように挑戦し、誰かに夢を見せたり、元気を与えることであったり、社会人として誰かのために働き、社会を支えていくこと。

ヒーローとか成功者にならなくてもいいし、無理に成長を求める必要なんてないとは思うけど、もし自分が恵まれているなと感じたなら、その恵まれたものを誰かのために使うことが、恵まれている人が持っている役割だと思う。


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