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なぜ「格差」が悪いのか?

アフターコロナによって、格差が広がるという話を良く聞きます。
大きく大別すると、①お金と②環境です。
そこで、コロナウイルスによって、

①どのように格差が生まれつつあるのかと
②なぜ格差は悪いのか

実態や自分の考えを書いていきます。

私は特に②を考えることが重要であると捉えています。
「格差=悪」と言うイメージを持つ人は少なくないです。
しかし、それは正しいのでしょうか?経済学者には、格差=悪と主張しない人もいます。
(ここで、経済学者を例に出す理由は、経済学は富を公平に分配する学問だからです。)

①どのように格差が生まれつつあるのか?a.金融面、b.環境面に分けます。
a.金融面
私は大きく2つの理由があると考えています。

1つ目に、政府のお金の供給で起こる格差です。世界各国の政府は個人・企業に向けて給付金を積極的に行っています。
つまり、お金をたくさん刷っており、お金の価値が下がるインフレが起こります。このとき、不利になるのは貯金でお金を持っている人達です。

一方、富裕層は株式のように、インフレに強い金融商品を持っているため、投資をしている富裕層は有利な立場にいると言えます。

2つ目に、職業による格差です。これは非常に重要な要因であると私は考えます。今回、コロナによって儲かった業界は、はっきり分かれました。
主に実店舗を持たない企業が多いです。また、スーパー、宅配などの需要も増えました。

ただし、興味深いのが必ずしも、人と関わる業界の売上が悪かったと言うわけではないと言うことです。
例えば、休校や休園により、ベビーシッターの需要は増えましたし、コロナで何度かニュースで取り立たされた介護も、家庭では対応できないため、需要が増した事例も聞きます。

しかし、在宅勤務ができるホワイトカラーの労働者の優位性は明らかです。
アメリカでは、ブルーカラーの労働者は一時的な解雇や永続的な解雇を強いられました。また、これに伴い平均時給も大きく上がりました。なぜなら、比較的賃金が低いサービス業で働く人たちが職を失った一方、比較的賃金が高いオフィスワーカーの職は維持されているからです。

こう考えると、職を失ったものは貯金を取り崩しながら生活をする必要がありますし、再就職もいつになるかわかりません。一方で、ホワイトカラー労働者は働き続け所得を増やすことができ、株式に投資することで、さらなる利益も期待できます。格差は広がる一方です。

b.環境面
ここでも大きく2つに分けます。1.土地による格差と2.設備による格差です。

1つ目の土地による格差は、住んでいる場所による格差です。
東京や大阪のような都心では、急激に感染者を増やしましたが、岩手や鳥取のような地域では感染者はほとんど確認されませんでした。
都市部は、そもそも人口が多く、通勤などで密集することが多いからです。
このようなことから、田舎へ避難する富裕層も少なくないといいます。

また、世界の貿易が滞ってしまったため、食糧不足が今後、懸念されています。このことからも農業が行いやすい田舎が着目されています。

2つ目に設備による格差です。
労働者は在宅でPCを用いたり、学生はオンライン授業を積極的に行っています。しかし、通信環境が悪い地域や通信機器の設備によって、差が生まれているといいます。

例えば、パソコンを1つではなく、2つ用いればマルチディスプレイにして作業を効率的に行えますし、良い通信環境であれば音声が途切れたり、通信が切断されて煩わしい思いをすることが減ります。

在宅という全く同じ環境ではないからこそ、そこに格差が生まれてしまいます。

では、このような格差が悪いのか?と考えたときにどうなのでしょうか。
何でも格差と言えば、「格差」になります。顔の良し悪しでさえ、声質でさえ格差になるからです。

実際に、現代の国による格差は環境格差によって生み出されたとも言われています。

ジャレッド・ダイアモンド著の「銃・病原菌・鉄」で、人類の歴史は環境要因で成り立ったと書かれています。16世紀、17世紀にヨーロッパ諸国が強かったり理由は、ヨーロッパが農業に適した土地だったからです。

ユーラシア大陸という大陸の性質上、緯度が同じで、気候が大きく変わらないため、ノウハウが広く行き渡り、農業は上手くいきました。
一方で、アフリカ諸国は気候が厳しく農業が発展しませんでした。

ヨーロッパは、農業が発展し、食糧を貯蓄するようになり、
暇が生まれたため、銃や武器を作るようになり、ヨーロッパは圧倒的に強い存在になりました。

確かに、格差があることは残酷ですが、格差がないことも残酷だと思います。
なぜなら、格差がないとすれば、本人の努力によって評価される社会になるからです。

結果は、制度や環境によって生み出されるのではなく、自己責任になります。


では、格差が良いかと言えば、私はそうとも言い切れません。
大きな格差によって、富を持つ個人が世界の発展や衰退、破滅の方向性を決める権力を持つことがあることがあると考えるからです。

ただ、単に格差が悪いというのはおかしいです。格差によって、富を持たないものが不幸になるとは限らないからです。富を持たなくても必要十分に幸福に過ごしている人たちはいます。
格差社会を否定せず、文化的で幸福な最低限度の生活を保障できるような程度で、貧困層を救うという考え方もできます。

現代、科学・数学・情報技術、ネットなどの発展や蓄積によって、格差が表面化しやすくあります。

だからと言って、それをすぐに「格差」であり、「問題」であると捉えるのは安易だと考えます。

ただし、私は、数値化しにくい「格差」に注目すべきだと考えます。
ピケティの「21世紀の資本」によって、世界の格差は明らかにされました。当たり前ですが、格差は数値などで表面化されないと捉えにくいのです。
だからこそ、人との関係や出会いなどの数値化できないものが大事であり、それは大きな格差になることを忘れてはならないと思います。

友達や家族を大切にしておらず、将来的に格差となって、孤独な者とそうでない者になることは少なくないです。

1人1人が違うからこそ、「格差」は永遠の課題です。
だからこそ、「格差」について真摯に向き合う必要があるのではないでしょうか?

まとめ

1.格差をお金と環境に分けて考えた。
お金の面では、今後のインフレの懸念や職業によって格差が考えられつつある。
環境面では、住んでいる場所や設備で格差が現れてきている。

2.「格差」の問題点について考える必要がある。
加えて、数値化によって格差は捉えられる以上、目に見えない格差を考えるべき。





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