若き師の 教えを胸に
最近、いろんなことに余裕があるときにランニングをはじめました。
人に抜かされると悔しいんですが、その感覚を久しく感じてなかったことに気づかされました。
社会に出ると、勝ち負けのある勝負を誰かとすることがほとんどなかったから、きっとそのせいですね。(厳密には前職のコンペがそれに当たるけど、瞬間的な勝負じゃなかったからアドレナリンが出るような"勝負"ではなかったな)
話は変わって「部活で培われる競争心理が資本至上主義に加担してるんじゃないか」ってこと。そんなことを考えながら、ランニングをしています。
部活では多くの場合、レギュラーになることが、試合に勝つことが至上命題のように語られる。賛否両論はあれど、具体的な目標があるからこそ努力する必要性が明確だし、その方向性も間違えることが少ない。
ただ社会に出てみると、部活のように具体的な目標や手段が決まっている訳ではない。だから、その目的を「お金を稼ぐこと」「裕福になること」のような一見幸せそうな状態と勘違いしてしまうのではないだろうか。お金というのは、人の幸福度を定量化するのにとても便利なように思えるから。
競争するメンタルも手段も持ち合わせてるのに、誰と競争すればいいのかわからない。だから幸福の指標のように思えるお金に執着して、それを追い求めてしまうのだと思う。
もちろん、お金が手元にあると幸福は訪れやすいけど、あくまでそれは手段の一つであって目的にしてはいけない気がするんだよね。"手段の目的化"とかって言葉でよく言われていることだけどさ。
若き師の
教えを胸に
道違わん
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