最高に罰当たりな丑年の事件 〜枕辺探偵事務所の鍛錬記録〜

「こりゃあ殺されても仕方ねえな」
 眉間にしわを寄せた上司が、死んだ被害者の前にしゃがみ込む感じがした。
「ご遺体に向かって失礼ですよ」
「死に様に人となりが出てんだろ」
「やめてください。そう言われたらそう思い込むしかないじゃないですか」
 僕こと弥山直樹(ややまなおき)は、ふたりだけの小さな探偵事務所で、所長の枕辺透(まくらべとおる)さんの助手として働いている。
 新卒一年目、真面目でフレッシュな二十二歳というところがウリだ。
 他方、この名探偵は、かなりの変わり者である。
 三十代前半、よれよれのスーツともじゃもじゃの髪をどうにかすればそこそこなんとかなりそうなルックス、そして極めし怠惰。
 それなのに彼は、どんなヘンテコな事件でも、すんなり解決してしまう。
 僕はそんな、能ある鷹は爪を隠すタイプ(?)の上司の元で、日々鍛えられている。
「被害者は駆け出しの小説家の男で、死因は絞殺。死ぬ間際に書いていた原稿が横に落ちてる」
 枕辺さんが指差す先を、じっと見る。
「なんて書いてあるんですか?」
「枠外に『丑年の小説を書く』と走り書きしてあるのに、タイトルは『丑三つ時のロリ娘』。殺されるだろ」
「ひどい設定です」
 ……ここまで読んで気づいた方もいると思うけれど、実はこの事件は全て枕辺さんの作り話であり、僕たちはいま、何もない床にしゃがんで深刻に話している状態だ。
 枕辺さんが助手の僕を鍛えるため、業務終了後にこうして、即興の事件をでっち上げてくれるのだ(納得いかないという方がいたら、ぜひ頭から読み直していただきたい。全て彼の妄想であることがお分かりいただけるだろう)。
「確認なんですが、いまは何月何日の何時、どこですか?」
「二〇二一年一月一日、午前四時二十二分。練馬区の一戸建てだ」
「容疑者は分かっているんですか?」
「三人いる。まず、自費出版を持ちかけていた自称編集者。被害者の机の引き出しに、二十万円でキンドル本を製作する契約書が入っていた。二人目は、若い女の絵師。表紙絵を担当していて、あした初対面の予定だったそうだ。そして最後は、父親」
「え? 親が容疑者はひどくないですか?」
「第一発見者だ。被害者は駆け出しの小説家だと言っただろう。一冊出したきり開店休業状態で、実家の穀潰し。被害者は起死回生の自費出版のために、罵倒覚悟で父親に原稿を見せ、土下座して二十万円を工面したもらった」
 僕は、被害者の顔を覗き込むふりをする。
「凶器は何なんですか?」
「LANケーブルにしよっか」
「しよっかとかいうのやめてください。せめて雰囲気は大事にしましょう」
「引っこ抜いたLANケーブルで、ぐえっと」
 なんともベタな展開なので、凝ったトリックとかはなさそうだ。
「事件の流れを教えてください」
「年越し直後に、絵師からあけおめLINEが来た。会おうということで盛り上がり、密を避けて一月二日の昼間に初詣をすることになった。その直後に、自称編集者と通話した記録が残っている。部屋で話していたが、なんだか興奮した様子で『女と初詣』としきりに言っていたため、姉が腹を立てて、うるさいと注意したそうだ」
「そのやりとりに、お父さんは関与していないんですね?」
「してない。午前二時半頃、息子の部屋に入ったら、死んでいた」
 二時半……まさに丑三つ時だ。
 縁起の良い干支からこんな胸くそ悪い事件を考案するなんて、罰が当たればいいのに。
「どうしてお姉さんは容疑者に入っていないんですか?」
「友人四人と朝まで、リビングのテーブルに酒を広げてZOOM飲みをしていた」
「お父さんが部屋に入った理由は?」
「姉から話を聞いて、どんな女と会うのか知りたかったそうだ」
 下世話すぎる……が、ものすごーく簡単な事件な気がした。
「殺せるの、お父さんだけじゃないですか? 絵師さんは会ったことないから無理だし、自称編集者さんも、今年は元旦の終夜運行がないので、来られません」
 結構自信があったのだけど、枕辺さんは、ふふんと笑った。
「可能性を潰すんだ。色々あるだろう。初対面だと思っていた女が実は被害者の家を知っていた可能性とか、自称編集者が終電前に既に近隣にいた可能性とか」
「ええ……? えっと、そうだな。どれだけ近くても家を知っていても、侵入できなければ殺せません。しっかり施錠されているとか、家族に見つからずに部屋に入れないとかなら、外部の人が殺すのは無理なので、犯人はお父さんになります」
「なるほど、それはうまくいきそうだ。じゃあ教えてやるが、犯人は父親以外だ」
「はあ!?」
 ……この鍛錬は、枕辺さんの言うことが全ての正解だ。
 もしも彼が『太陽が黒かった』と言えば、それはその通りになってしまう。
「えーと。じゃあまず、女性が会ったことないという前提をどうにかします。本当は知り合いなのを女性側だけが一方的に気づいていたか、会ったことはないけれど、なんらかの方法で住所を知ったか」
 ふむ、と言って、枕辺さんはうなずく。
「あ。自称編集者さんは、絵師さんとも連絡をとっているはずですよね? キンドル本の制作のために、絵師さんに依頼しているんですから。自称編集者さんは、被害者との契約書があるから、住所も知っています」
「おっ、いいとこついてきたよ」
 ぽくぽくと考える。
 自称編集者と絵師女性がグルなのか、はたまた、絵師女性が自称編集者を騙して住所を聞き出したのか。
 いや、待てよ。
 僕はずっと『自称』編集者という響きに引っ張られて、自費出版はぼったくりなのだと考えていたけれど、本当にそうなのだろうか?
「あの、自称編集者というのはどういう人物なんですか?」
「ウェブコンテンツ全般を扱う有名クリエイターで、手がけたものは必ずバカ売れ。あまりに広い分野で仕事をするもんで、職業に名前がつけられないから、仕事相手に合わせて名乗る肩書きを変えていた。よって、自称編集者」
「やられた! まともな人じゃないですか!」
「『思い込みを捨てよ』。基本中の基本だ」
 にやにやと腕組みをする枕辺さんを、にらみつける。
「まともな人なら、おいそれと住所は渡しませんよね。いや、それこそ思い込みなのか……?」
 疑心暗鬼になっていると、枕辺さんは愉快そうに目を細めた。
「一度、情報を整理してみなされ。とあるピースにひとつ要素を足すと、全部が一気に繋がるから」
「ええと……。被害者は売れない小説家で、実家住まい。しっかり施錠してあって、家族もいるので、外部から侵入はできません。まず年が明けた瞬間に女性絵師さんからLINEが来て、二日の昼に初詣に行く約束をしました。そして、自称編集者ことすごいクリエイターさんに電話で『女と初詣』と興奮した様子で話し、うるさいので、ZOOM飲み中だったお姉さんが注意。お父さんは、お姉さんから『弟が女性と初詣に行くとはしゃいでいる』と聞かされる。そして午前二時半、相手の女性がどんな人なのか聞きに行こうとしたら、息子が死んでいた……って。あ? あっ!?」
 僕はガタッと立ち上がり、トントンと階段を降りるかのような感じを出して、姉がZOOM飲みをしていたはずのパソコンの前に立ったことにした。
「枕辺さん。もしかしてその絵師の女性は、お姉さんだったんじゃないですか?」
 後ろからのっそりついてきた枕辺さんは、にんまりとする。
「でも、お互い気づいていなかったんじゃないでしょうか。LINEのやりとりで家が近いってことだけが分かって、じゃあ初詣に行こうってことになったのではないかと」
「なるほど?」
「被害者が書き途中だった原稿は、『丑三つ時のロリ娘』というタイトルでした。てことは、依頼されていたイラストも、丑年・呪い・ロリを連想させるという、ちょっと独特なものだったんじゃないかなと思います」
 そうかもね、と言って、枕辺さんは、パソコンのマウスをカチカチするような素振りを見せる。
「お父さんは、お金を貸す際に原稿を見ているので、『丑三つ時のロリ娘』の存在を知っています。それで、えっと、枕辺さん。そのパソコンの中から、そんな感じのイラスト、出てきましたか?」
「うん、出てきたことにしていいよ」
 ……せっかくの推理シーンなので、雰囲気は大切にしていただきたい。
 僕は気を取り直して、こほんと咳払いをする。
「お姉さんは、お友達にイラストを見せるため、ZOOMで画面共有しようとしたんです。しかし、弟の下世話な電話の声を聞いてしまいました。お姉さんは注意すべく、弟の部屋へ行きます。お姉さんが席をはずしている間に、リビングを通りかかったお父さんは、パソコン画面に開きっぱなしだったロリ娘の画像を発見し、息子に見せられた原稿と繋がってしまいました。降りてきたお姉さんに『弟がSNSで知り合った女と初詣に行くとはしゃいでいた』と聞かされ、お父さんは最低の大惨事を思い浮かべます。そして、思い切って息子に聞きに行こうとしたら、死んでいた……」
「容疑者増えたじゃん」
 僕は頭を抱えた。おっしゃる通りだ。
 枕辺さんの言った前提は『父親以外』なのに、お父さんにも強い動機が生まれてしまった。
 このままでは、また枕辺さんが『やっぱり父親も容疑者に入れる』とか言い出しかねない。
「えーとえーと。じゃあ、電話の相手の自称編集者ことすごいクリエイターさんは、何か言ってたんですか」
「遅い!」
「はえ!?」
「そこを早く聞けば、もっとスムーズに事件は解決したのに」
「す、すみません……」
 僕が縮こまると、枕辺さんは、腕時計をくるくるといじくりながら言った。
「自称編集者はね、ふたりが姉弟だと知っていたんだよ。そりゃそうだろ、お互い契約書交わしてんだから。それでも守秘義務があるんで、黙ってたわけだな。しかしそうとは知らない被害者が、絵師と初詣であわよくばとか言い始めたので、言うしかないかとなったところで、姉の怒声が響き渡ったそうだ」
「じゃあ、本人たちには……?」
「言った。ふたりの心の修羅場は想像に難くないだろう」
 得意げな枕辺さんに、僕のお腹の中で、ふつふつと怒りの念が膨らんでいく。
「……ひどいですよっ。お姉さんは容疑者リストに入っていなかったじゃないですか。最初から除外されてた人が犯人だなんて、アンフェアもいいところです。ミステリー小説なら怒られますよ」
 枕辺さんはうははははと笑う。
「落ち着け、弥山。姉が殺したとなると、父親が見つけるまでの二時間が不自然になるぞ。なぜ逃げずにZOOM飲みに戻ったのか。それに、口論から殺すまでが一分二分と言うことはないだろう。長く席を外していたら、飲み仲間が覚えている。だから、姉は容疑者にはならない」
 むぅ。枕辺さんの言う通りだ。
 もし僕が弟殺しの犯人なら、ZOOMなんかやらないで、すぐに現場から逃げる。
 でも、犯人は父親以外。
「……もしかして、自殺ですか? 趣味全開のイラストを依頼した相手が姉だったと気づき、絶望して、死んだ」
 枕辺さんは目を細めて腕時計を見た。
「十八分四十七秒。めちゃくちゃ遅えな。ここからお前はLANケーブルを使って他殺に見せかける方法を考えなきゃいけないわけだが、さすがにかかりすぎだ。きょうは時間切れ」
「うう……精進します」
 自殺の動機探しだけで、こんなに時間がかかってしまった。
 まだまだ僕は鍛錬が必要らしい。
 枕辺さんはあごに手を当て、によによと楽しそうに笑った。
「罰はそうだなー。お、いいの思いついた。『丑三つ時のロリ娘』を原稿用紙五百枚のミステリーにして、鮎川哲也賞に出しなさい」
「は!?」
 枕辺さん曰く、普通の罰ならただの時間外労働だけど、鮎川哲也賞に出すのなら、受賞すればドイル像と印税がもらえるかもしれないのだから、文句を言うな……という。
「絶対本名で出せよ? ヤヤマなんて珍名、一発で友達に見つけてもらえるからな。わはは」
「ぱっ、パワハラですよ! 訴えます! それでこんなとこ、辞めてやります!」
「おーおーなんとでも言え。どうせ辞められねえんだから」
 そう。おっしゃる通り、どんなにひどい目にあっても、僕は枕辺探偵事務所を辞められない。
「ほれ、そろそろ戻るぞ。野良猫が腹ぺこだ」
「……いつか。いつか絶対っ。エリザベスちゃんを懐かせて、こんなとこ辞めてやりますっ」
 枕辺探偵事務所が入る雑居ビルに毎日寄り道する、猫のエリザベスちゃん。
 彼女を置いて別の場所で暮らすなんて、僕には耐えられない。

(了)

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