ウィンドラボの風盗難事件

即興小説トレーニング
制限時間:15分 お題:100の風

 誰も知らないと信じているけれど、この惑星に吹く風には分類がある。
 ウィンドラボと呼ばれる無菌状態の研究施設に、風の種が厳重に保管されている。
 今朝はいつもどおり出勤して、ちょっとぶかぶかの白衣を羽織って、部屋に入った。
 透明なボトルが百本。
 春夏秋冬・風の強さや湿気のレベルごとに、きちんとラベリングされて並んでいる……はずだった。
「先輩、大変です! 風の種が一本足りません!」
 僕が大声をあげると、いすを繋げて寝ていた先輩が、がばっと起き上がった。
「なんだと!? 何が無い!?」
 ふたりで見ると、なんということだろう、まもなく出番の『春一番』がない。
「嘘だろ……、いや、俺じゃないぞ」
「分かってます」
 この施設は、誰かがいないと部屋から出られない仕組み――要するに、無人になる瞬間が生まれないようにできているのだ。
 ひとりで当直だった先輩が持ち出すことは、不可能だ。
 電話が鳴る。
 慌ただしくとると、焦った声の所長だった。
「おい、都内に春一番が吹いてる! 種に異変はないか!」
「なくなってるんです、春一番のボトルが」
 すぐ行くと言って、所長は電話をガチャ切りした。
 まだ三月。
 こんな時期に吹くのは早すぎるし、何より、もしもボトルの中身が全て吐き出されてしまったら――
 テレビをつけると、新宿が暴風になっていた。渋谷では竜巻が起きているらしい。
 レポーターが悲鳴を上げながら実況していて、先輩は頭を抱えた。
「まずいぞ、このまま昼時になって飲食店を巻き込んだら、火災旋風を起こすかもしれん」
 火の海が東京を飲み込むところを想像して、ごくりと唾を飲む。
 所長の到着を待つ余裕はないかもしれない。
「先輩、僕が犯人ということで大丈夫です。あとはお願いします」
 僕はボトルを一本掴んで、屋上へ駆け出した。
「頼んだぞ!」
 思いきりコルクを抜く。
 冬の厳しい潮風が、どうにかしてくれと願って。

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