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「数学クラブ」(数値解析)荒井淳  物理で表されるほとんどの偏微分方程式が解ける方法である有限要素法の歴史

有限要素法の歴史

有限要素法(FEM)の歴史
飛行機の翼の根元応力の計算には、昔片持ち梁の理論が使われていました。しかし、時代の流れと共に、後退翼が出現しました。
これには、片持ち梁の理論が通用しません。
設計時点で応力が検討できないのは、大きな問題となりました。
そこで、ボーイング社の技術者は、小さな、三角形や四角形で要素をつくり、組み合わせて、後退翼の形状を模擬して、全体の剛性を求め、力が加わった時、応力がいくつになるか、求めました。
1956年にはじめて、マトリックス法による構造解析の発表が行われました。
そのとき、高名な先生がこの理論は、間違って居ると言われたとか。

ここは、Copilotに聴いてみました。
1956年にボーイング社の技術者であるM.J.ターナーやR.W.クラフらが有限要素法(FEM)の原型を発表しました。この手法は、航空機の構造解析において非常に革新的でしたが、当初は賛否両論がありました12
特に、当時の著名な学者の中には、この新しい理論に対して懐疑的な意見を持つ人もいました。彼らは、従来の解析手法に比べて新しい方法が正確であるかどうかについて疑問を持っていたのです1。しかし、時間が経つにつれて、この手法の有効性が証明され、現在では多くの分野で広く使用されています2
FEMの発展には、後にツィエンキーヴィッツ博士がエネルギー原理を応用したことも大きな役割を果たしました1。このようにして、FEMは工学や物理学のさまざまな問題を解決するための強力なツールとなりました。
Copilot返信終り

現在、FEMは、あらゆる分野に使われています。

その後、ツィエンキーヴィッツ博士が、構造解析のF=Kx(F:外力、x:変位、K:剛性)で解く方法は、エネルギー原理であることに気がつき、これを、他の分野に応用しました。

エネルギー原理では、全ポテンシャルエネルギーの第1変分が0となるところが解であると言う主張です。

はじめ、線形問題で系を支配する方程式に汎関数がある場合だけ、他の分野へ適用が可能であることがわかります。すぐに、重み付残差法で汎関数がない場合の非線形問題にも適用できることがわかります。
1969年にツィエンキーヴィッツ博士は、熱伝導解析、電磁界解析、流体解析への応用の教科書を発表しました。これは、FEMを広めるために大きな功績でした。
1970年代、1980年代、1990年代になると、汎用プログラムが開発され、広く、利用されるようになりました。

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