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ドイツ映画のすゝめ

 夏のボーナスシーズン到来である。
 と言いつつ、こんな世の中なので私(現職三年目・平社員)もだいぶしょっぱかった。それでもとりあえず出たのは出た。家電を一新できるほどではないが(ハイセンスの冷蔵庫がほしいよスナフキーン)、本を買ったりDVDを買ったり、とりあえず普段の暮らしがチョット豊カニナル程度には入ったので、思い切っていろいろ買ってみた。今まで「買いたい」「しかし今買わなくてもおそらくは在庫切れにはならないし絶版にもならない」「耐えろ」「耐えるのだ」と己に言い続けて我慢したあれこれをごそっと買うのは気持ちいい。5万以内で収まったのも偉い。
 とりあえず喜び勇んで買ったものを報告してみる。内訳はこんな感じ。

・「花束みたいな恋をした」オフィシャルフォトブック
・多和田葉子『百年の散歩』
・今村夏子『こちらあみ子』
・滝口悠生『茄子の輝き』
・「Transit」(邦題:未来を乗り換えた男)クリスティアン・ペッツォルト監督
・「Barbara」(邦題:東ベルリンから来た女)クリスティアン・ペッツォルト監督
・「Phoenix」(邦題:あの日のように抱きしめて)クリスティアン・ペッツォルト監督
・「Das schweigende Klassenzimmer」(邦題:僕たちは希望という名の列車に乗った)ラース・クラウメ監督
・「Der Hauptmann」(邦題:ちいさな独裁者)ロベルト・シュヴェンケ監督
・「Der Fall Collini」(コリーニ事件)マルコ・クロイツパイントナー監督

 2月に綾野剛の沼にどハマりしたのと同じくらい、映画単体として「花束みたいな恋をした」にもえげつない攫われ方をした。坂元裕二はやばい。当時未視聴だった「最高の離婚」を見てさらに確信を深める。やばいな。あと「Mother」と「この恋を思い出していつかきっと泣いてしまう」と「カルテット」も、綾野沼の裏に隠れて実はこっそり視聴していました。いや、サブスクの幅がさ、広がるじゃん? そしたら見れちゃうじゃん? 通勤時間は一時間弱あるじゃん? ということである。ちなみにシナリオブックとノベライズは3月時点で購入済みでした。手堅い。
 花束の話は昔のエントリで触れているのでそこそこにしとくとして、今回目玉は後半の文字の羅列である。

 何度か触れているように(うるさいくらい主張しているように)世にも珍しいドイツフィクションオタクとして日本で買えるもの・見れるものには手を伸ばしておきたい。なんでか知らないけど日本で手に取れる、触れられるドイツのものってなんだか極端に時代がかっているというか、いい感じに「現代」のものに触れるのが難しい。なんででしょうね? 今もなおドイツという国は存続していて、EUの真ん中でいろんな不利益を被りつつ、批判も大いにされつつ日々を生きているのに。やたら引き合いに出されるのが戦争中のことだったり冷戦中のことだったり、もっと言えば中世やグリム童話の価値観で語られたりする。おもろいけど正しくはねえなあと思う。しかし反面、不思議なことに意外なほど、一般的な日本人がこの国に抱く印象はいいのである。
 私は学生時代からとにかくこの国のことを学びたく、実際歴史とか言語とか勉強させてもらった経験があるのだが、ドイツのことやってました〜って言った時に「そんな国のことを学ぶなどけしからん!」と言われたことは一度もない。大体「ドイツ語難しいのにすごいですね」とか「おしゃれでかっこいいですね」とか言われる。左寄りな人にも、かつて日本と同盟組んで敗戦した経験があり明治大正期の日本の確立に寄与したからか右寄りの人にも印象が良い。イメージが先行しすぎている。そして大体、彼らは現実のドイツも、そうした現実のドイツから産出されるフィクションにも関心が薄い。なんだかな〜。
 当たり前のことだけどそこにちゃんと人が住んで経済が回って法が機能しているので、どんな国でもそうだし日本もそうであるように国や社会全体のことを一言で説明するのは難しい。大事なのは知ること、知ってもらうこと、そして知ろうとする興味を持ってもらうこと。ということで今日は数あるドイツフィクションの中から何作か挙げつつ、紹介と見方、楽しみ方の一例を(独断に基づくのだが)書きたいと思う。

 まずドイツフィクションは、当然のことかもしれないが大半の映像フィクションがドイツ語で作成される。一言で「洋画」と言っても、英語の洋画とフランス語の洋画とドイツ語の洋画は全然違うもので、ドイツ語の映画やドラマであるということは大前提として共有されてほしい。私はイギリスやアメリカの映画も見る人でもあるので、ドイツ語だからドイツ映画を選んでいるとかそういうわけではない、一応。ただ、ドイツ国内のベストセラー小説が映画化されるときにハリウッドが英語で作成することは意外に結構ある(『朗読者』なんかもそう)。そういうときに「なんで英語。。。」となるパターンは結構ある。これ、日本のフィクションだと珍しいので(そもそも日本原産のフィクションを諸外国が先陣きって映像化する例をほとんど聞かない)、あんまりない嘆きかもしれない。強いていうなら漫画原作を「半端な」実写映像化するときの嘆きに近いかもしれない。当たり外れは割とある。ちなみに朗読者はキャストが良かったのであたりの方向。
 ドイツフィクションの題材はやはり戦争ものが多い。というか翻訳されて日本に入ってくる第二次大戦関連のものが多くなるので、そこでバイアスがかかっている可能性は多分にある。ので、暗い、シリアスで重い映画が多いと思われがちだが、果たしてこれはどうなのか。結論から言うと嘘ではない。と言うか、おっしゃる通り大体暗くて重い。実際シリアスな話を描くのが上手い。現代劇でも第二次大戦の影響が随所に潜んでたりする。また、ドイツ特有の社会構成が頭に入ってないとテーマとして設定されているものが見え難かったりする。
 顕著なものとしてダイアン・クルーガー主演「女は二度決断する」を挙げると、社会に根底的に存在する移民差別の意識、露骨でないながら疑わしきは罰していかない、ネオナチの保護に繋がっている社会背景、法治国家における無力さの克服などがかなり丁寧に描かれる。私はこの作品を「日本では作れない映画」だと思っているけど、それは描写の凄惨さや母親像の超克といった文脈とは別のものとして、日本ではこれほど大多数の意識下における差別意識を的確なモチーフで(まだ)商業作品として顕在化できないだろうと思ったのが大きい。ドイツにおけるトルコ人というのはそれだけ看過できない存在であり、社会形成の上で重要な位置を占める存在である。誰もの隣人であり、隣接する社会である。

 ではそうしたドイツフィクションをどう楽しめばいいのか。
 作中で説明がきちんとなされている作品を選ぶ、あるいは現実社会と綺麗に一線を画した話を選ぶのどちらかである。
 いきなり映画でなくて恐縮だが、Netflixオリジナルシリーズの「DARK」というSFドラマがあり、この作品のクオリティが半端なくやばかった。これに関しては、世界配信ということを意識してか知らないが、驚くほどにドイツ国内の歴史的背景に関しては触れない。架空の町の架空の事件が題材として語られるため、ガッツリ冷戦時代(のはずの西暦年)を話題としていても東西ドイツの分裂に関して触れられもしないし、それより前の時代に関しても歴史的事象については触れない(ただ、服飾や内装に関してはこだわりを感じる箇所が多く、それはそれで良い)。まずはドイツのことを全く知らない、前情報もない人がドイツのフィクションに触れようとするなら入りとしては非常に理想的と言える。少なくともシュタインズゲートを履修してる人には絶対見てほしい。絶対好きになるので。

 しかし個人的には、とりわけ日本にいてドイツのフィクションを受け止めようとするなら、先述のような社会背景、歴史的経緯、せめて少なくともヴァイマル時代→ナチ時代→大戦→分裂→再統一 の流れだけでも把握していてほしいところではある(強欲)。この流れを理解するだけでフィクションそのものへの解像度が上がるし、何よりメタ読みができて楽しい。特に、戦争の時代に関しては日本も似たようなもんだったので(毎年八月の流れで理解できるやつ)把握するのも簡単だろうけど、東西分裂なんてのは日本の状況と全く乖離しているので軽く簡単な本を読むだけでも前提知識としては十分だから知っておいてほしい。少なくとも、東西ベルリンの国境線と東西ドイツの国境線が一致しないことくらいは(これを混同している人が一定数いる。もちろん国内における記述の書き方も良くないし、ここに至る経緯がそもそも面倒臭い)。
 
 ドイツという国は、意外なほど日本できちんと知られていない。
 ビールとソーセージ。間違ってはいない。でもドイツ国内で実際、最も消費されるのはチョコレートだ。
 バウムクーヘン。間違ってはいない。でも日本で売ってるようなバウムクーヘンは、ドイツでは日常的に手に入らないし、値段だって桁違いに高い。
 厳格で真面目。間違ってはいない。だが規律を守るのは何かへの服従ではないし、議論の土壌から生じる自由志向がたびたび体制を脅かしてきた。ちなみに電車はめちゃくちゃ遅延する。行先変更、消滅など日常茶飯事である。
 酒はめちゃくちゃ飲む。これはあんまり、イメージと実情の乖離がないように思う。

 フィクションはその社会を反映する鏡のようなものだと思う。
 日本のフィクションは、良くも悪くも日本の姿をそのまま映し出す。私は外国人の日本語学習の現場で、日本の地上波ドラマが教室内で上映され、教材として運用され、学生に議論されている現場に何度も出会したことがある。友人のドイツ人に「テラスハウス見てる? 最近ハマってて」と言われたことも何度もある。なぜか「サイコパス」と「花より男子」を日本語クラスの全員が履修している光景にも出くわしたことがある。アニメだけではない。おそらくはイリーガルな手段だろうが、ドラマも見られている。ドラマや映画の日本語は生の日本語会話なので、日本でのビジネスチャンスを得ようとする学生にとって格好の教材となる。
 だから自分はドイツの映画やドラマをものすごく見てしまうし、それが日本に入ってくるのを待つ過程で厳選され、ある種のバイアスにさらされることを心苦しくも思っているのだけど、一方で入ってきた作品を見て「ああこういうのが流行ってんだな」「こういうのが評価されてんだな」と思うのはやめたくないな、と思う。自分があの社会にいたのは今からもう3年も前になるわけで、3年前と今は全てが明白に異なる。いつまでもドイツ映画といえば「善き人のためのソナタ」と「グッバイ、レーニン」だけ話題になるのもなんだかなぁと思う(もちろんこの2作はものすごく名作であることに変わりがない)。ということで、この記事を見た人が「ドイツ映画も悪くないな」と思ってくれて、なんならアマプラやNetflixで検索かけてくれて、見た上でドイツってこんな感じなんだ〜と思ってくれたらいい。
 最近のおすすめは「水を抱く女」と「お名前はアドルフ?」。特に後者はコメディなので見やすい。コメディだけどこの上なくドイツ!!! って感じ。たぶん自分が学生だったらドイツ語の授業で見てたと思う。前者は現代ベルリンの情景がふんだんに出てくるので、都市建築なんかが好きな人にも楽しめると思う。詳しくは個別の記事を書いたので見てほしい。

 なんかどの立場? って感じの宣伝記事を書いてしまったけど、見たよ! って人はコメントなりリプライなりくれると嬉しいです。
 とりあえず私は買ったばかりのディスクを時間見つけて頑張って消費します。未視聴作品から見ていこう。
 またよろしくどうぞ。では。

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