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『鬼滅の刃』は人を繋ぐ。人の代わりに。

今日は漫画について。
最近読んだ中で、完結していて、「人に勧めなくてもいいくらい有名」なものを考えていた。
鬼滅の刃かな。
『進撃の巨人』はまだ辛うじて完結してない。『大奥』は、できればこれから出会う人にものすごく読んで欲しい。それよりもっとメジャーで、もっと誰にでも「優しい」作品がいい。

『鬼滅の刃』は、おそらく2020年を語る上で象徴的な存在だと思う。
爆発的な人気がついたのは映画のヒットか、連載完結の前後か、わたしにはわからない。なぜなら、リアタイで見てなかったから。ジャンプ作品にはなんとなく縁がなくて(二次創作の存在を知ったのは『遊戯王』なので、昔は読んでいた。たぶん)意外なほど未履修の作品が多い。おそらくジャンプ作品よりは直木賞と山本周五郎賞の受賞作の方がくわしい。ちなみに芥川賞に関してはびっくりするほどノーマークで、『影裏』が受賞作であることも知らなかった。偏りが激しい。自分がわりと何も知らない人間であることを最近、思い知ることが多い。

話を戻すが、『鬼滅の刃』はとにかく、フィクションを見ない人にも浸透するほど、びっくりするほど、とにかくヤバい勢いで流行っていた。本やマンガが好きだと自称して、鬼滅がわからないのはモグリだと言われるくらい。まあそこまで言われると、本やマンガが好きなやつは余計読まなくなったりするのだけど、私は案外、そこまで言われると逆に見てやりたくなる方だったりする。だって気になるでしょ。それで面白くなかったら、それはそれで良い指標になる。そういう経験をして、絶対に作品を買わない、映像化されたものも見ないと決めた作家が何人かいる。嗜好が合わないのばかりは仕方ないので。

結論から言うと、『鬼滅の刃』は感性に合った。というか、普通に面白かった。なんでこんなもんが流行るんだ、とは間違っても思わなかった。
絵柄は確かに独特だが、特徴があって、一度見たら忘れられないと言う意味では大正解だと思ったし、和柄が合う絵柄で大正時代を描くのも大正解だと思う。大正時代、いわば1912年から1926年、私の好むところである「黄金の20年代」である。あの時代の、前近代と産業社会の狭間で絶妙に効率化を図れない空気感が好きだし、鬼が登場する余地を残すならこの時代以外にないだろうとも思う。あれより古ければ御伽噺になり、新しければ流石に無理がある。絶妙だ。家父長制の根底的な価値観も良かった。敢えて女性の描写に関しては「何もややこしいところには触れない」という姿勢を徹底していた気がしたが、ジャンプ漫画であればあんなものだろうと思う。魅力的な女性キャラクターで固めていたので、読解力があれば彼女らの生き様から何かしら学べるところはある。蜜璃ちゃんとか。蜜璃ちゃんの動的モチベーションは、多分にフェミニズム的なところを含んでいるし、蜜璃ちゃんに対する柱のみなさんのアプローチには非常に繊細なものを感じた。そう、意外にモダンガールの時代だから、あの頃は。そういうものかもしれない。
話も良かった。というか話が良かった。わかりやすく、端的で、ぶらさないところはぶらさない。頑固で、不器用で、しかし情の湧く構成だった。悪役までも物語として登場させてしまう。ひどい奴にも事情を用意して、溜飲を下げたあとで印象を残す。誰ひとり駒として使わなかった。死んだ人間の意思は、必ず生きている人間が受け継ぎ、その人間がまた次の人間に受け継ぐことを前提とした。真正面から人と人の繋がりを肯定する物語が、人との接触を減らし、交流の機会を絶たれ、「繋がり」を失った社会に響いたのは皮肉なことだが、必然であるようにも思える。

ヒットが取り沙汰され、数が話題になるたびに、『鬼滅の刃』に対する過剰反応が起こる。大したことないとか、面白くないとか、子供騙しとか。感じ方は人それぞれなので、そう思う人ももちろんいるだろうが、しかしそれが「自称・フィクション好き」に多いことは不思議だと思う。フィクションをたくさん見ておいて、『鬼滅の刃』がどれだけエポックメイキング的な作品であるかわからいでか、と思う。今後10年は、鬼滅の影響を受けずに商業フィクションを作るのは難しいだろう。だって、売れた前例だからだ。老若男女問わず「フィクションに金を払わせた」という前例は重い。サクッと終わって、見せ場はしっかり描く。その、ともすればインスタントな表現でいい。だから悪役は何パターンもいらないし、死んだ人間は基本的に出てこない。死んだ人間を悼むシーンすら最低限にされ、次に進む。目的が明白だから、どんなテンポでも人はついていくことができる。計算され尽くされた設計だと思う。うまい。引き算の美学だ。
こういうところひとつとっても、当たるべくして当たったんだな、と思う。それはフィクションが好きなら(さらに言うなら、自分も作るなら)考えて損はない。

余談だが、私のTLには最終回後の「ファイナルファンタジー」(最終回前後で男女カプが作者によって量産される)を批判する声が相次いだ。わからなくはない。わからなくはないし、私自身の価値観がそれを許すかどうかは別問題として、「つなぐ」がテーマならば、そしてあの時代ならば、近くにいる男女が「近くにいる」という理由だけで一緒になってしまってもなんの問題もないし、むしろそれ以外が思いつかない。次世代も残さなければならないし、何よりまずはあの大戦を生き延びなくてはならない。恋愛事情を赤裸々に描いたならまだ批判のしようもあるが、その前提と結果だけで中身を抜いたのはむしろ誠意を感じた。究極的には恋だ愛だがどうでもいいから、どうとでも考えることができる。自分にはあの作品における推しがいないから冷静なものだ。

もう連載は終わったが、アニメはまだもう少し続くらしい。アニメはどこまで放送できるのだろうか。ちゃんと最後まで走るとなれば、何年かかるだろう。
私は原作の終わり方の美しさをとても気に入っている。繋がれ、のこされたものの記憶。受け継がれるなにか。あの写真の笑顔があって初めて、この作品の主題は完成される。

いい話だと思う。
ただ、細かい引っ掛かるところは多分にある。
そうした引っ掛かるところを色々差し引いても、いい作品だと思った。この作品が2020年爆発的に流行ったことには、やはりなにがしかの意味があるのだ。
強いて言うなら余白はとても少ない。キャラクターのパーソナリティにおける余白はほぼないと言ってもいい。そのかわり、メタ的な情報と照らし合わせたり、解釈を重ねたりする余地は多分にある。
アニメをそうして待つのも悪くない。必ず来るとわかっている待ち合わせ相手を待つように、案外そうやって独善的に色々考えるのはたのしい。


推しはいないって言ったけど、強いて言うなら伊之助ってめっちゃいいと思います。顔が可愛い子で、声が野太いの、いいよね。


どっかで鬼滅に関しては腰据えて書きたいと思っていました。
映画館にたくさん人呼んでくれてありがとう。
継国兄弟の話まではせめて映像化して欲しいけど、そうなったらもう最後までやってほしいです。


そんなこんなで、またよろしくどうぞ。では。

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