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「AWAKE」に夢の続きをみる

 「コントが始まる」が好きだった人。
 「ユーリ!‼︎ on ICE」が好きだった人。
 そして大好きな生き甲斐、夢を自分で終わらせて、これまた大切な今を生きている人。
 忘れられない、尊敬してやまない、こいつにだけは負けたくない相手がいた人。

 悪いこと言わんので今すぐNetflixに加入して吉沢亮主演作「AWAKE」を見てほしい。
 私はこの作品、映画館で見なかったことを心の底から後悔した。近隣で上映してなかったんだろうか? 私生活死ぬほど忙しかったのと緊急事態宣言で映画館どころじゃなかったんだろうか? いずれにせよ相当惜しいことしたな…と悔やんだ次第。出会いはどこに転がっているかわからない。
 
 物語は実話を元にしている。
 ニコニコ動画で2015年に実況中継された将棋の電王戦、人間対将棋ソフトの伝説の一番。
 出てくる人物や辿った歴史こそ違えど、そこに至るまでの経緯をエンタメとして再構成し、「事実」を拾ってくる構成、朝ドラに近いなと思った。大河は実在人物を歴史学的に分析して再構成するが、朝ドラはモデルとなった人物をあくまで「モデル」として想定するにとどめ、基本的にはガワだけで再構成する。
 AWAKEという将棋ソフトを作った人物がかつて奨励会に在籍したのは事実。ただし、対局者と面識、因縁があったという設定は映画の脚色だし、そういう意味では現実と隔絶された、フィクションとしての前提を大事にしたエンタメの再構成である。
 我々は実際の物語を物語として消費することができない。いや、それは言うなれば「してはならない」ことで、実際に世の中に生起することを「フィクション」に落とし込み、「エンタメ」として消費することに対しては敏感に生きなければならない。SNSが社会に浸透し、誰でも発信者になり得るならば尚更。そして私は「将棋の実際」を知らなかった立場の人間であり、完全に映画が先行する形でこの歴史を知った。なので実際の歴史について議論する立場にはないし、よくわかりません、と言うにとどめておきたい。

 物語は吉沢亮演じる英一(そういえばまた「えいいち」だ)が奨励会で切磋琢磨し、幼少期からどれだけ将棋にのめり込んで生きたかが描写されるところから始まる。同輩の陸は同世代では出色の天才で、そんな彼に巡り合わせとはいえ一勝したのが英一。しかし英一は結局、長じてのち勝ち切ることができず、奨励会を辞めて大学へ進むこととなる。そこで将棋ソフトと出会い、ソフト開発にのめり込む、というのが大まかな筋書きだ。

 今のキャリア形成の様態は実に様々だ。大学進学と一口にいっても、日本の場合はとりわけ、学業のみに専念して進学するわけではない。正しいデータがあるわけではないけど、一般入試以外の方式で大学を受験し入学した学生は数多くいるし、そのうちの何割かはまさしく大学で夢を追うために進学している人たちである。夢を追うということに日本は意外なまでに寛容だ。若いうちは夢を追うことが美徳とされ、夢を追いかけるためのありとあらゆる土壌が整えられる。少なくとも22歳までは、なんの気兼ねもなく夢を追いかけられる。そして22歳を超えると、びっくりするくらい世間の風当たりが厳しくなる。
 就職するまでの甘い夢。そんな言い方をすると怒られるかもしれないが、大前提としての就職、大前提としての労働、そこに夢の介在する余地などないというのが大半の持つ価値観かもしれない。しかし冷静に考えてみれば、人生は22歳以降の方がはるかに長く、また22歳以降で初めて触れるものの方が多いのである。大人は夢を抱いてはいけないのか? あるいは、夢は子供の頃の夢が全てなのか?

 私は自分の話をすると25歳まで収入らしい収入もなく、自分のやりたいことだけを追いかけて生きていた。もちろんそれによって得られた技能もないではないし、今の仕事に役立った側面も多分にあるのだけど、世間的にはかなり宙ぶらりんで、「何をしている」とも説明しにくい立場にいた。私のこうした立場を今から振り返って肯定するつもりはないが、周りの人が仕事をして新人として歩み始めていたおよそ3年間のギャップは、時が過ぎてしまえば瑣末なことだが、リアルタイムに実感するものとしては常に焦燥と隣り合わせだった。好きなことで生きるのは非常に難しい。だが、その線引きは同時に自分で行わなければならない。よほどの場合でなければ「この辺でやめとけ」と引導を渡してくれる人はいない。そして自分で自分の夢に見切りを付けるのもまた、実力のうち、努力のうち、才能のうちだと思う。よく「やりきった」などと言うけど、夢の終わりが見えるのはその人に実力があるからだ。それ以上続けても更に上にはいけないことがわかるから、または今が最高だとわかるから自分で判断を下す。
 そういうわけで、若人が夢に見切りをつける描写が好きだ。抉られるからではない。投影しているからでもない。その判断には常に当人の「夢」への愛着、自意識との葛藤、実力や技能の分析、時流に向き合う冷静な視座、扱いきれない感情の波、そして判断の尊さが具に現れるからである。そこには人間の本質があり、矜持があり、命をかけた美がある。大袈裟ではあるけど、生き方を変えるということはそれまでの人生に一度区切りを打つということで、広義の概念的な死、人生のリスタートといった意味合いを含んでいる。そここそがドラマの真髄であり、フィクションの核となる部分だと思う。綺麗なばかりではない現代の人間の、社会を蔑ろに生きることの叶わない人間たちの「生き抜く姿」の結晶化である。
 だから自分は「コントが始まる」も、「ユーリ‼︎! on ICE」も好きだし、今回の「AWAKE」もめちゃくちゃ好きだと思った。しかもAWAKEは2度目の夢をかけて戦う姿を描いていて、この2度目の夢がいい。2度目の夢が最初の夢と地続きなのもまた幸せなことだ。同時に全ての物事は繋がっている、「諦める」ことが全てではないと説いてくれるようでもある。生きてきたすべては簡単に「無駄」にはならないのである。

 役者勢の熱演も良かった。何より吉沢亮がべらぼうに良かった。「青天を衝け」で見られた剥き出しのエネルギーも青々しく美しいが、今作の内に飼い慣らした狂気ともいうべき情熱の発露もまた煌めきがあって凄まじかった。大学で出会ったソフトウェアの開発という新たな夢に全身でのめり込んでいく、言葉で表現しきれない狂わんばかりの情熱を体当たりで表現していた。吉沢亮の美しい目元にはかなりの頻度で狂気が宿っていて、それは「東京リベンジャーズ」の現代パートでも結構顕著なんだけど、今作でもたまにそういう「地の果て」を見てきたような目をするので、これ好きな人はたまらんやろなと思った(たまらんかった)。画面を見る目が本当にスクリーンの先を見据えているようで、焦点が合わないから観客とはほぼ目が合わないんだけど、ずっと覗き込まれているような感覚に襲われる。しかし彼が見つめているのは陸(若葉竜也)だけであり、同時に徹底して盤の上だけでもある。
 若葉竜也も良かった。理知的で、しかし葛藤しながら「最善」を尽くすべく、なんなら「清田にだけは負けるわけにいかない」という鬼気迫る、追われる側なのに同時に追う側でもあるという立場を表現するのが神がかり的にうまかった。彼ならばハメ手を使ってでも勝つだろう、勝つ事情があっただろう、勝ちにこだわるだろうと納得させられてしまう。それは新進気鋭の若手棋士という、そのスタートラインに立つだけで圧倒的に「勝ってきた」人間が容易に持ちえない切迫感であり、同時に「そうだからこそ」纏い得たオーラであるとも思った。名演だった。

 そして何より、やはり映画のクライマックスである終盤、対局の21手目で「ここで投了します」と述べる吉沢亮の声の演技に圧倒される。昨今ヒロアカの映画で「同姓同名の別の声優さんかと思った」「うま過ぎて吉沢亮と気づかなかった」と絶賛を集める吉沢亮、声の演技がものすごくいいのである。感情の全てを口上に乗せられる。だから大河でも啖呵を切り、建白し、慟哭する演技に嘘臭さが出ない。稀有な俳優だと思う。今作でも存分に堪能できる。
 普段邦画を見るという人にはもちろん、邦画はあまり見ないけどアニメは見るという人にも見てほしい。そしてアニメで扱われるような特大感情の応酬を見て、最後には充足感とともに見終えてほしい。私が保証しちゃう。というか、なんでほんと、こんなに話題になってないん…? めちゃくちゃ良かったです。去年見てたら去年のトップ10に絶対入れてた。12月にこんな映画見せられたらたまらんな。未見の方はぜひご覧ください。

 将棋のことは相変わらずよくわからないけど、この「逆説的に藤井聡太氏や羽生善治氏のすごさがよくわかる」感、事実はフィクションを大抵上回るというのが現れていてとても良い。
 次の記事はなんの映画で書こうかな〜とふわふわしていますが、映画で感動する前に操上和美氏の写真にワーワー言う未来が見えているので、大丈夫かなと危惧しています。たぶん大丈夫ではない。
 また機会があればよろしくお願いします。

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