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『アドルフに告ぐ』から。

 DMMで70%オフという気のふれた所業、もとい神キャンペーンをやっていたので、勢いでこれまで揃えられていなかった名作をまとめ買いした。いずれもかつて人から借りたりネカフェで読んだり、買おうとしたが絶版で…という代物ばかり。要は古典的名作なのである。文芸文学って意外と田舎の本屋で揃ったりするけど、漫画はそうはいかない。売り切れたらそれで終わりだし、発行元もわざわざ再販してくれない。文庫版が出たりしたら尚更!
 ということで電子書籍でコンプできたのは、大変大変ありがたい。
 映画館に行けるかどうかもわからん今日この頃なので、しばらくはこちらで購入した漫画の感想を語りたいと思う。


 一作目は手塚治虫『アドルフに告ぐ』。
 意外にもこの作品を最初に読んだのは大学2年の時で結構遅かった。
 大学図書館に入荷していたので、ノリと勢いで借りて読んだ。当時まだドイツには行ったことがなかった(その夏に語学研修で初めて行くことになる)。ただ神戸は勝手知ったる街でよく知っていたし、宝塚も大阪も土地勘があった。神戸近辺に住んでいてユーハイムやモロゾフを知らない奴なんていない。観光資源の代表格、風見鶏の館も元の所有者はドイツ人商人であり、要は史実として神戸にどれだけの外国人たちがいたか、またその中にユダヤ人が含まれていたかは想像に難くなかった。当時それらしい知識はなかったが、解像度は高かったのだ。この体感的な理解が物語の理解を深めさせたかどうかは今となってはよくわからないけど、とにかくこの作品との出会いは自分の中でものすごく大きかった。

 その時読んでシンプルに好きだなと思ったが、なかなか巡り会えずにいたので今回改めて購入し、ゆっくり読んでみた。未だにテレワークの恩恵に与れない職種ゆえ、通勤時間の読書や映像視聴が大変に捗る(自虐)。文庫版で3冊。気がついたら読み終わってしまう分量である。それでもこの作品が与えうる影響力といったら特筆すべき甚大さだ。手塚治虫はこの話を1985年頃に描いて連載し、1989年に亡くなっているので、カテゴリ的には最晩年の部類に属すると思うのだが、洗練された表現ぶりに「こりゃ神様だわ」と納得せざるを得ない。格が違う。手塚治虫作品はまだ「火の鳥」と「ブラックジャック」とこの作品くらいしか読み込んでないけど(この辺も今回購入した)、フィクションの質が良すぎてびっくりする。多分好き嫌いや描写の上での不味さ、マイノリティへの配慮など今の世の中にそぐわない部分は多分にあるのだけど、それにしたって作品そのものが持つ質としてはなかなかこれを上回るのは難しい。この人が底上げした部分は漫画にもアニメにも多分にあるのだろうなあ、と文化史の上での功績を思い知った次第。

 知らない人のために(そんな人がこの記事読むか?!)かいつまんで説明すると、ベルリンに派遣されていた新聞記者の峠という人物が、弟の死をきっかけにドイツを取り巻く陰謀と時代の暗黒部に対立していくという話。峠は「狂言回し」としての役割を与えられており、軸となるのは二人のアドルフと、かのアドルフ・ヒトラーである。一人目のアドルフはアドルフ・カウフマン、ドイツ総領事館で働くドイツ人の父と日本人の母を持つダブルの少年で、神戸に生まれ育つが父親の意思で祖国のヒトラー・ユーゲントに入れられ、青年将校としてヒトラーの側近になっていく。二人目のアドルフはアドルフ・カミル、ユダヤ系ドイツ人の少年でパン屋の両親とともに神戸に生まれ育ち、ユダヤ人としての誇りを抱きながら日本社会で逞しく生きていた。彼らは幼少期に紛れもない親友であったが、残酷な時流と運命が彼らを飲み込んでいく。

 戦時ドイツとヒトラー、ホロコーストの話題は絶えずフィクションの題材にされる。それはハリウッドでもドイツ映画界でも同様で、しかしなかなか同盟国日本の事情に言及したものは多くない。そりゃそうだろと思う反面、同じような全体主義をとって痛い目にあった過去があるだけに、ドイツを相対化しつつ自国の話も織り交ぜられるのは日本くらいのもんでしょと思う。その金字塔的作品がこの漫画だと思う。史実とユダヤ人の描写に関しては確かにやや甘いところもあるが、かの手塚氏はこの漫画を神戸にもベルリンにも行かずに描いたというのだから驚きでしかない(あとがきより)。数字やデータを拾い上げ、あとは手塚氏自身の戦中の経験をハイブリッドするとこうなったという感じなんだろうけど、それにしたって物語そのものの訴えかける力が大きい。また、手塚氏の物語構成はこの作品に限らず、海外文学的な悲劇性に満ちていて、まさにこの作品の結末なんかはそうだと思う。死ななくていい人がたくさん死んだし、死なないで欲しい人が片端から死んでこの話は終わる。幼少期に誓った友情がこのような結末を迎えるとどうしても呆然としてしまうが、そこに綺麗事ではない戦争の悲哀と無惨さが垣間見れる。事実に多少の齟齬があるので教科書としては不適だが、戦中戦後ドイツの「空気」を学ぶに格好の入門書であると言えるし、フィクションとしては受け取れる最高級のものだと言える。なので、未読の人にはぜひ読んで欲しいし、これを皮切りに国内外のドイツネタのフィクションを見て欲しく、欲を言うなら歴史そのものに踏み込んでほしい…とか思ったり思わなかったり。

 また、手塚氏のすごいところは、これだけ戦中ドイツの容赦のなさを描写しておいて、戦後イスラエルとパレスチナ処理に関してもきちんと言及するところで、この落とし所もまた「ヨーロッパにはできない」搦め手であるような気がします。ほんとに終盤の数ページだけとはいえ、あのくだりをきっちり盛り込むところに容赦のなさを感じるし、うーん、やっぱすごい。ドキュメンタリー以上に容赦がないのなあ。

 「アドルフに告ぐ」を最初に見た時にはできなかったことだが、今の自分にできることとして、「ジョジョ・ラビット」と「小さな独裁者」という昨今の戦中ドイツを題材にしたフィクションでの「少年」像との比較検討ができてしまう。アドルフ・カウフマンと、ヨハネス・ベッツラーと、ヴィリー・ヘロルト。この三人は同じ時代に同じ環境下で生きた三人の少年たちであり、ユダヤの少女を救った幼いジョジョと、大勢の敵味方を欺き殺したヴィリーの狭間に立つのがアドルフなんだろうなと思う。人間が「どちら」に転ぶかは紙一重、どの立場に立つのかも紙一重。これは実は、ドイツ戦時下に限った話ではなくものすごく普遍的なことで、おそらく今の日本社会にも通じるところが多分にある。ことの大小は大いに違うにせよ。
 今の時代は、戦中とは比べ物にならないほど幸福ではあるだろうが、非常時であることには一定の共通項がある。残念なことに危機はすぐ近くまで迫ってきており、その想定の端緒としてフィクションが作用していられるのは幸せなことだ。その幸せが明日にでも散逸してしまう危機感を肌で感じながら、今目の前にあるフィクションを思う存分享受したいと思っている。おそらく手塚氏が医者と漫画家を秤にかけて、漫画でやっていこう、フィクションでやっていこうと決断した「勝算」のなかに、フィクションの可能性を見出さなかったと言えばそれは嘘になるだろう。

 さて、この「アドルフに告ぐ」はそういうわけで他の作品のきっかけとして非常に良いが、同様に漫画として、フィクションとしての質もとんでもなく高い。とりわけ戦時下の日本、空襲の記憶に関しては手塚氏のリアリティあふれる描写が生々しく本物で、戦後40年の世の中にこれを叩きつけたかつての氏の気概に、さらに40年近くが経った今、改めて読み直して感嘆してしまう。
 3冊だけなので、未読の方はぜひ。一度読んだよという人も、外に出られないゴールデンウィークに再読をぜひ。

 私も頑張って効率よく読み進めたいと思います。まだ「エリア88」が残ってんのよな。こっちの話は次回の項で。
 あとこれは本当にどうでも良い余談で、キャストの大半がドイツ人になるのに日本語音声なんてぜーったい実現しないと頭ではわかってんだけど、元陸上選手で新聞記者で特高やナチスから逃げ回り、殺されかけながら機密を守る峠草平、めちゃくちゃ走る役なので実写化するときはうちの推しをどうぞよろしくお願いします。20代から40代くらいまでなら難なく演じられる人です。
 アドルフ・カウフマンはマックス・フーバッヒャー、アドルフ・カミルはルイス・ホフマンあたりでどうかひとつ……絶対されない実写だと思うと言うだけ自由でいいね……ほんと妄言だね……

 またよろしくどうぞ。では。

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