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「楽園」と孤独の表象

※中村豪士のことしか喋ってません。映画の感想というより中村豪士へのクソデカ感情です。

 
 つっっっら。

 ラブコメ主演をあんなに喜んでいた我らが綾野さん、どんなフィルモグラフィをお持ちなのかと探ったらこの映画が「主演作」として出てくるのはいささか辛すぎないかと首を捻るなどした。
 この作品に前後して「閉鎖病棟」と「影裏」なので(綾野剛三部作と言われているらしい、納得ではある)、2010年代の終わりにかけての綾野さんがいかに「削られる」役に全力投球されていたかがわかる。メンタルタフネスだなあ。見ているだけで我々のほうがこれだけ消耗しちゃう映画を前に、演じた人がしんどくないわけがないもんなあ、となんとなく畏敬の念と心配を同居させてしまったりもする。
 
 先月「ヤクザと家族」で沼入り(海底ドボン)を果たし、「MIU404」のえげつなく素晴らしいドラマに心を打たれ、バラエティで垣間見る大人としての素敵すぎるあれこれに「この人めちゃくちゃいい人じゃん……」と感銘を受けてこの映画に臨むのが果たして正解なのでしょうか。いや名演なので避けては通れないんだけど一言いいでしょうか。
 この世はクソか?(©︎中堂系)
 あのですね、まだ「怒り」や「影裏」に関していうなら、優馬や日浅の存在が直人、今野を世につなぎとめて幸せの意味を考えさせるような側面があったわけですよ。
 それをね。
 中村豪士という人は。
 誰にも理解されず、誰にも手をのべられず、誰にも守られず、誰の幸せを願うでもなく。
 愛されていたのに、それを知ることもなく。
 かわいそうでかわいそうでならない。世の中の全てに反旗を翻してでも豪士のことを幸せにしてやりたい。幸せになっていいだろ。誰かに愛されていることに気づいてもいいだろ。いいやつなんだよ。と見ながら毎回叫び出しそうになるので、この映画の感想を書くまでにえらく時間がかかりました。
 綾野さんにこういう役がくるのは、綾野さんが「孤独の表象に長けているから」だと思うんですが、綾野剛という役者はただ一人そこに立って、一人で世界に向かい合うのがものすっごく絵になるんですよね。その背中が悲哀に満ちていようと、堂々たる自信に満ち溢れていようと本質的に人間は一人で、その孤独とどう向かい合ってこの世界で生きていくか、みたいなメッセージ性のある演技をするから(できちゃうから)物語の中で孤独と向き合う役が多くなるのだと思う。私はなんせ「ヤクザと家族」で足元から崩れ落ちた人間なので、そうした圧倒的に孤独な背中を概念的家族と並べて生きる、生きようと足掻く姿に溢れんばかりの光を感じて仕方なかったわけですが、意外なほど「親兄弟がまともに機能していて作中に出てくる綾野剛出演作」って少なくてびっくりしたし、なんなら父親としての役が異様に少ないのにもびっくりした(ガッツリ人の親の世代なのでもうちょっとあるかと思っていた)。家族がいたら孤独じゃないかというとそういうわけでは決してないんだけど、フィクションにおける舞台装置としての家族の存在は基盤であり背景設定、そこが揺らぐと他も揺らぐよ的な屋台骨であることを考えると、あえてそこに何もない、何もないが故にその「人」そのものが浮き彫りになるような、たった一人でこの世界に向き合わなければいけないような役が自然と増えるのだろうと。で、豪士には一応母親がいて、並大抵ではない苦労をして日本に一緒にきた家族がいるはずなのに、ここがものすごく機能不全だし、なんなら厄介者のような扱いまで受けていて、冒頭からもう心臓が痛い。唯一心を通わせる紡は田舎の未成年女性という(もっとも社会的に立場の弱い)存在ゆえに彼を救うことはできないし、彼の光になることができなかった。唯一被害者女児、この子の存在が光になり得るというのが本当に本当に辛い。だって彼女は田舎におけるヒエラルキーの唯一の例外であり、同時に物理的に最弱かつ最小の存在でもある。結局映画の中で真実はわからないけど、豪士が彼女に花冠を贈られて涙するシーンはどうあれ「事実」としか言いようがなく、あのシーンを見るといつも嗚咽して泣いてしまう。辛すぎて。どうしてあんなにボロボロになるまで孤独でなければいけなかったのだろうと考えると、「孤独」の表象を突き詰めてきた綾野三部作の中でも屈指の切なさに見舞われてしまう。思い出しながら描いている今もしんどい。しんどい。辛い。。。
 
 豪士にはどこかの人生で、一瞬でももう少し孤独でない時間があったらいいなあと思ったし、そういう意味では笛を買いに行ったあの一瞬だけ、あの一瞬紡との繋がりを感じて、好かれているということに気づいていたら、愛されている事実に自覚的であってくれたなら、その直後に勘違いだと自分を誤魔化してもいいから、孤独を募らせないでいてくれたら、といろんなことを考えてしまう。
 この演技を「土地から吸い上げた」「役作りはしていない」と述べる綾野さんの「孤独」への理解度の高さよ。全ての演技が演者の実体験に起因するものだと私は思わない派閥ですけど、いやそれにしたってすごいな、本当すごい…としみじみ痛感してしまう。素晴らしいです。この日本で「孤独」を理解するのも、ちゃんと正面から向き合うのもすごく難しいはずなので。これだけ解像度の高い孤独を言語化して、映像の中で血を通わせた動きができるのは本当にすごい。
 でももうこんなに心臓の痛くなるような孤独な役は、しばらくはいいかな。とか言いながら見ちゃうんですけどね。

 ホムンクルスも恋ぷにもとりあえずは孤独ではない(ホムンクルスは孤独じゃない! 繋がりに満ちた話だった)ので、繋がりの中の綾野さんを大事に拝見したいと思います。
 放映開始まであと4日か! なんか無駄に緊張してきたわ! 楽しみましょう各位。
 またよろしくどうぞ。では。

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