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『オルガ』の見た東

花粉症で死んでますこんにちは。

毎日映画とドラマの話をしていたので、このあたりでやや趣向を変えて本の話をしようと思い立ち、2021年入ってから読んだ本で印象に残っている本をまずは一冊、引っ張り出してきました。

ドラマや映画と同じくらい本も好きです。時期と自分の元気さによってどっちに偏るか決まる感じ。好きな作家とか作品とかはプロフカードにも書いてる通りですが、なんか全体的にリアリティ強い方が好きみたいです。反面、ファンタジーはやや苦手な模様。嫌いじゃなくて大体うまく設定に乗っかれないから。
読むのは普通に読みます。ちなみにファンタジーの中だと『ダレン・シャン』が好きです。子供向けにしてはすんごいダークでしたよね。インフルエンザで苦しんでいた小学生のときのある冬、病院の待合室で読むようなものでは明らかになかったです。余計しんどなるわ。


ベルンハルト・シュリンク『オルガ』

シュリンク作品は御多分に洩れず自分も『朗読者』から知ったのですが、今回の本は朗読者と同時代の戦後ドイツの話で、典型的でありながら斬新な話になっています。
ヒロインのオルガは東方、いわゆる戦前でいうところの「生存圏」に住んでいた女性で、ドイツのルーツを持ちながらもっと東の方に生きていた人です。オルガという名前、聞くだけでとてもスラブ的なんですが、こういう話は実際よく聞きます。古くは東方植民以降、近代に至るまでドイツは常に東方への移住が盛んであり、実際私の友人からも「おばあちゃんはポーランド生まれで戦争のとき苦労してドイツに逃げてきて〜」みたいな話を聞きました。日本も戦後、満州からの引き揚げが珍しくなかったように、これもまた一種の共時性を持った話のひとつ。
そのオルガが戦乱の中で恋人と離れ離れになり、子を失い、しかし生きようとした姿を本人の目から、オルガに世話になった「かつての少年」の目から、そして最後はオルガの残した手紙から紐解こうとするのが本作の構成です。
いやーうまかった。オルガという人が実在したかのような真に迫った描写もさることながら、主観と客観の両側面からひとりの人間を説明するというひとつの宇宙。情報量のハンパなさ。そしてそれぞれに見えているものの違い。題材こそ限定的な、それこそ戦後ドイツ文学の潮流に乗った話でありながら、人物を描写する筆の奥行きには題材による限定的な特色ではなく、文学全体に言えるような普遍的技巧を感じました。一人の人間を描き出すのに必要なのは、主観による徹底的な一人称の描写ではなく、かといって内面を語るためには三人称の著述には限界があるので、両方を高いレベルで実践する必要がある。
実践されてましたね〜。
オルガはどことなく杳として、掴みどころのない女性なんだけど、この底知れない感じは逆に丁寧に描写しているからカテゴライズできないのであって、型にハマった造形では決してないんですよね。そもそも、オルガが不幸かどうかすら、ボーッと読んでたらわからない。家族はおらず、恋人と別れ、子と別れ、懇意にしていた少年とも疎遠になり、それでも幸せといえば幸せに見えるし、実りある生涯といえばそう見えてしまう。一面的な定義が何もできない人なのです。知れば知るほど彼女のことは、ある意味でわからなくなる。その「型への嵌められなさ」が実在を逆説的に強調する。善人か悪人かすら不明瞭になる。そういう体験をさせてくれるフィクションというのは貴重ですし、この善悪分たれない不親切でやや難解な、しかしこの上なくリアルな人間の描写が好きで、ドイツのフィクションを好んで見ている向きはあります。

実際、アメリカや日本のフィクションと違って、ドイツのフィクションにはピカピカの善人ってぜんぜん出てこないんですよね。男前だけどクスリやってたりとか、警察だけど人殺してたりとか、底から這い上がってきたサクセスストーリーの主人公が破滅工作しかけてライバル会社を路頭に迷わせたりとか。いわゆる勧善懲悪を推し進めるなら全員アウトな話ばっかりで、しかし無駄にリアリティがある。好き嫌いは分かれると思います。やっぱり日本のフィクション的には、悪いことしたら自分に返ってくるよ、という発想になると思うので。これはもう完全に好みの問題ですが、人間のそういう多層性、一面的に定義できないコインの裏表のような部分、真にまっさらな白紙などあり得ないあの感じが自分は好きです。
そういうドイツ文学のいいところが全部見える本でした。シュピーゲル(ドイツの有名な新聞)のベストセラーに名を連ねたのも納得。『階段を降りる女』も好きでしたが、最近に来て更なる名作を打ち出してくるシュリンク先生さすがです。

ドイツ的なものってドイツとして国境がひける領域に限ったものではなくて、それは大いに懺悔すべき、反省すべき「ドイツ」の過去の負の遺産でもあるのだけど、しかしながらそうした領域にもたしかに生きていた人たちがいたのだ、そうした人たちが積み重ねた末に今の歴史があるのだ、という話でした。実際の歴史がメタ的にキャラクターの人格に作用してくるギミックは、わかりきってはいるんだけどやはり目の当たりにするとゾクゾクします。1933年、とか言われるだけで前提知識としての特定思想がチラついて。
そういう意味では、キャラクターを描写するのには一人称・三人称に加え、時代観という3つ目の視座が必要なのかもしれません。バックボーンが確かであるという意味で、ノンフィクション風の作品は強い。揺さぶる力も強い。とにかく自分は読み終えて大変満足しました。
オススメです! デカめの本屋と図書館にならあると思います。ぜひに。

最近のわたしは「バビロン・ベルリン」が見終わらない。見終わりたくない。でも多分見終わったら長々となんか書くと思います。またよろしくどうぞ。では。

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