雑記#1

年が終わろうとしている。
またしても何も成し遂げられなかった。

 毎年何らかの気概を持って一年に立ち向かうのだが、あえなく敗れるのが恒例となっている。それは、他でもない自分自身の能力の無さに起因するし、どうしようもない孤軍奮闘をによって醜態を晒すことによって帰結する。コロナ禍がもうすぐ4年に至る。振り返るのも野暮な年月である。丁度自分のモチベーションを発揮するタイミングであったはずの期間を無為に過ごし、ありあまったモチベーションが下降するのとは反比例して、感染者数は増加傾向を辿った。マスクは必需品となり、政府によるマスクを強制しない旨の発表がなされてもなお、顔の半分のベールが解かれることはない。街行く人ですらそうなのだから、接客業等の人間はもっと遅くなるのだろう。こんなことは色んな人間が色んな語彙と語法を駆使して、叫ばれてきたことだろうから私が何を言おうが関係ないことなのだが、どうしようもないことはひとまず書いておきたくなるのである。

 どうしようもないことで思い出したが、過去にこんなことがあった。2020年入学の私が家にこもってオンライン授業を受けている頃、その授業の中で第二外国語の授業があり、私は韓国語の授業を選択した。書き取りや言葉の意味についての学習は、オンラインでも申し分はなく物足りない気持ちを抱えながらも、真剣に受講していた。が、発音のテストについは違った。zoom上でカメラをオンにし、マイクもオンにして韓国語の文を一生懸命読むのである。zoomが一般的になった今となっては不自然なことではないように思えるが、このときの私にとっては心底苦痛であった。問題は顔を出すことと音声を発することの羞恥心にあるのではなく、オフラインで一回も対面したことのない周囲の人間に対して顔を晒し声を出すという一味違った羞恥心だった。課題をやる時間も含めて、1週間ほとんど家に出ない生活をしていたような私にとっては、かなりのストレスだった。発音のテストは難なく終えることができたのだが、講師の申し訳なさそうでもないあっけらかんとした表情と初めて見る同級生のあまり動かない表情はとても異質で、そして何よりもこのような事態になった原因を持った人間はこの場にはいなく、そしておそらく世界中を探してもどこにもいない(WHOがしっかり動けば見つけられたかもしれない)ことにどうしようもなく心の中で憤ったのだった。また、このことを「アレ、めっちゃ恥ずかしくなかった?」と痛みを共有し、心の安寧を保つための友人もいなかった自分はこのことをあまり表には出さず心の胸ポケットにそっとしまった。

こんなことは他の人から見たら瑣末な問題なのだが、自分にとってのどうしようもないことフォルダがあるとすれば一番前に来るような出来事で、思えばここからコロナ禍を身に染みて実感し始めたのかもしれない。

来年はなるべく偉い人から怒られずに、提出しないといけないものの催促が来る前に行動するように頑張りたいです。

#雑記  

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