普通の定義


「普通は・・・」と言われて、

何も考えずに受け入れるのは思考停止。

普通なんか本当はない。


私の親の時代、昭和はインターネットもスマホもなかったし、

さらにその上の祖父祖母の時代は戦時中から戦後の復興期。


小学生の自分の子供が大きくなる頃には

今は存在しない新しく生まれた仕事についているはず。


関東の人の朝ごはんは普通は納豆かもしれないし、

インド人の朝ごはんは普通はカレーかもしれない。


営業会社の普通は朝礼で社訓を唱和することかもしれないし、

ベンチャー企業の普通はリモートワークかもしれない。


だから、他人から、特に世代の違う人間から言われる、

普通は・・・という言葉ほど信じられないものはない。


普通は時代や背景とともに変わる。

仕事のあり方も、教育も、国策も。


ただ一つ変わらないのは人は幸せになるために生きているということ。


幸せの定義は時代や国や地域、その人によって違うが、

幸せになるために他人の普通を自分の普通として受け入れるのではなく

自分だけの普通にこだわって生きたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?